10/18/06
衡平と公平の角逐(翻訳語の定着するまで)1
もしかしたら、英米法のエクイテイが入ってきたときには、たまたま日本にはまだ公平と言う熟語がなかったので、衡平法と翻訳しただけかもしれません。
ちなみに、明治初年ころには、漢字熟語がいろいろに使われていて、今のように(どれが正しいと)一義的に決まっていなかった時代でもあったのです。
当用漢字制度は戦後の制度であったことを、08/06/06「著と着の分離4(当用漢字表2)」のコラムで紹介しました。
ある漢字熟語や翻訳語も日本規格になったのと、規格争いに敗れて消滅して行く熟語もあります。
海外の小説や映画の名作の題名も、最初はいろんなネーメイングされますが、このうち一つが日本規格として残っていくものなのです。
「風と共に去りぬ」とか「若きヴェルテルの悩み」など、最初はいろんな題名があったでしょうが、今の名称に落ち着いただけでしょう。
私が大学時代に潜りで文学部の西洋哲学の講義を聞きに言っていたのですが、講義していた先生が、、キェルケゴールの「死にいたる病」と言う本の題名は、自分が翻訳したのが最初だと言う説明でした。
それまでは、「死病」とかいろんな翻訳があったらしいのですが、その先生の翻訳した題名が世間で受けたらしく、これが今では(その当時・・昭和40年ころと言う意味です)定番になっているという話でした。
先端技術では、どちらの企業・・連合の製品が世界標準になるかと言う熾烈な争いをしていますが、翻訳語やある製品に対する命名もこれと同じ規格競争があるのです。
最初は、いろんな人がいろんな名前を付けるのですが、ある一つの熟語が最後に「決まり」になって残るのです。
こうした生存競争の結果、今では野球とか自転車、自動車、電気など誰も疑問なく、決まった単語として使っているのです。
これと同じで、衡平法は、明治初年に一旦翻訳後として英米法学会で定着したものの、世間では受け入れられず、「公平」に負けてしまっただけかもしれません。
翻訳語の規格競争に負けて、次第に世の中が、衡平から公平1色になったのではないでしょうか?
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