10/18/06

衡平法裁判所2( 格差社会と不公平感)

前回書いたように、公平よりも衡平と言う方が、漢字の意味から言って分かり良いように思いますが、衡平に変えて「公平」と言う漢字がいつのまにか普通に使われるようになったのは、何故でしょうか?
憲法14条で保障している平等とは、形式的(結果)平等ではなく、能力に応じた合理的差別が許されると説かれます。
公平も、これに似た概念でしょうか?
はかりで機械的に計った平衡=衡平ではなく、公平と言うのは、公的概念・・・すなわち政治的価値概念を含んだものでしょう。
貧富の差が能力差による結果としても、あまりにもその格差が大きすぎれば、政治的には、公平感がなくなるどころか不公平感が募り、政権の安定が損なわれてくるでしょう。
このように公平と言うのは、単なる合理主義だけではなく、政治的妥協を含んだ概念のようです。
その分、この公平概念は民族別の(文化)価値概念ですから、世界共通にはならないでしょう。
たとえば、日本では、いかに個人の能力による成功の結果であるとしても、ビルゲイツのような突出した大金持ちは、許容範囲を超えているので、そこまでの巨富の独り占めは、社会意識として許されません。
ちょっとした差でも、つこうものなら、格差社会がどうのと言って、直ぐに批判され、政治のテーマになる社会です。
経済界で成功しても、土光さんのように、個人生活では、「小さな家に住み目刺を食べている」などのパフォーマンスが必要です。
このように公平と言うのは、法的な概念と言うよりは、政治的許容範囲を示す(文化的)価値概念ではないでしょうか。
では、衡平法裁判所と言うのは、どうでしょうか?
衡平法裁判所は、機械的な法の適用による実質的違法を是正するために発達したものですから、機械的な秤・・比較衡量ではなく、もともと実質的概念だったはずです。
ある法の比較だけでなく、あるいは比較衡量する利益の対象も単純なものではなく、複雑な比較を前提にしていたものと思われます。
あえて違いを言えば、公平かどうかは政治家が判断すべきことですから、衡平には政治的判断が入らない点だけが、公平と言う概念との違いでしょうか?



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

 


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資