10/17/06
法律専門職の発生2(大岡政談はありえたか?2)
勘定方役人は、家柄でなく能力主義の採用でしたので、他部局に転じる人は殆どなく、また、町与力も事実上世襲でしたので、こうした与力は、終生司法的事務に従事するのが普通となってきました。
こうして、行政と司法は制度上分離しなかったけれども、担当者レベルで、自然に行政官と司法官とは分化して行ったらしいのです。
この結果、専門家によって先例拘束的な運用が定着し、事実上の判例法社会になっていたようです。
この運用実績があったので、これを基にして「刑務所の歴史3(刑罰の種類2)「公事方御定書1」〜2で紹介しましたように、法典編纂事業が出来たのです。
こうして専門化・官僚化が進んでいましたので、個別裁判に法的素人の奉行が出たり、口出しする幕はなくなっていたのです。
大岡政談や遠山の金さんみたいに、奉行が自分で裁くことは有り得なかったようです。
(残念でした)
この意味では、今回は、09/30/06「江戸時代の裁判7(奉行の役割)大岡政談の不存在1」の続きでもあります。
なお、今でも、よほど小さな裁判所以外には、地裁所長は、自分で裁判を担当していません。
ただし、現在の地裁所長は、吟味筋与力同様に裁判官上がりのプロですから、いざとなれば自分で裁判する能力を持っています。
地裁所長を1〜2年勤めるとその次は、普通は、東京高裁その他の高裁の部長に転出しますので、高裁で再び裁判長として裁判実務をやることになるのです。
(最後まで、裁判のプロであることが裁判官になった者の誇りです)
これに比べて町奉行は、上記のような専門職の経験を積んだ結果、昇進して就任する地位ではなく、このような経験もなく大身の旗本が、初めから奉行職につくのです。
奉行職は、現在の各省大臣同様で、いわば政治職であって専門職ではないので、細かい実務能力の訓練を受けたことがないのです。
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