10/14/06
刑務所の歴史8(徴治場)
熊本藩の御刑法草書に影響を受けたと思いますが、幕府としては、約45年後の寛政2年・1790年老中首座松平定信が佃島に人足寄せ場を作って服役刑を実行するようになり、これが、全国に大きな影響を与えました。
本格的な失業対策事業の先祖でもあったようで、佃煮もその結果生まれたものですが、熊本よりも45年も遅れて出来たものです。
ただし、熊本とは違い何と言っても中央の政策ですから、全国に与えた影響は大きかったのです。
その後、幕末までに多くの藩でも、人足寄せ場(刑務所)制度を採用して仕事をさせるようになったらしいのですから、熊本の先駆的業績は大きいものが有ります。
今回の一連のコラムは、最初のコラムで書きましたが、牧英正、藤原明久編日本法制史・青林法学双書を参考にしていますので、毎回書きませんが、そのつもりで御読みください。
このようにして、叩いたり死刑にしたりするだけでなく、役務につかせる仕組みを世界的に見るとどうだったでしょうか?
ちなみに、世界最初の近代的な懲役制度は、1595年のアムステルダム徴治場と言われているらしいです。
熊本の眉なし小屋制度・・・宝暦4年(1754年)よりも、かなり早いです。
この徴治場という聞きなれない翻訳が何故あるかというと、12/20/03のコラムで明治の監獄則の紹介を簡単にしましたが、そのころは、徴治人とか徴治という単語が使われていたので、そのころはそういう翻訳だったのでしょう。
ちなみに、監獄側で徴治場と対の言葉となっていた留置場は、今も使われています。
懲らしめて治すという漢字の意味ですから、今から考えてもそう悪い言葉だとは思えませんが、発音し難いからか廃れてしまったようです。
ただし、この名残として、刑罰の種類として、懲役刑と言うものが残っているのです。
ただし、これも服役と言い懲役と言う懲らしめの方はあまり使いません。
明治の初めに、牢、人足寄せ場などに変えて、「監獄」という単語を使ったのも、当時としては極めて斬新な、近代的理想を顕したものらしいです。
ただ、私としては何故、獣扁の獄と言う字に変えたのが新しいのか、今のところピンと来ません。
酔っ払いをトラと言う俗称がありますので、最初は酔っ払いを入れておいたものかも知れません。
牛小屋を意味する牢屋から、虎を入れる小屋になったら、何故近代的かと言うところです。
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