10/14/06

刑罰の種類5(各藩の刑法2・・追放刑の廃止)囚人の坊主頭の由来?

10月3日の熊本、細川家の服役システムから当時の労働条件・・・ひいては千葉人の気質・・地方の人材から何時の間にか、弁護士資格の話になってしまいました。
話を元に戻しましょう。
脱走防止のために、眉毛を5日ごとに剃ったので、徒刑囚のことを「眉なし」、徒刑小屋を「眉なし小屋」と言うようになったらしいです。
確かに、服装は直ぐに着替えれば何とかなりますが、眉だけは、対面して隠すわけにも行かず眉だけはどうにもならないので、直ぐにバレルでしょう。
逆に言えば、眉毛が生えるまで逃げおおせれば、もう時効と言うことでしょうか?
現在の服役者が丸坊主にされている習慣の元は、ここから来るのかも知れません。
もしかして、まさかとはお思いますが、厳しい修行から逃げ出す小僧の逃走防止のために、坊主頭にしたのが、僧侶の坊主頭の始まりでしょうか?
刑期満了時には、支給された扶持の中から蓄えた資金を与えるほかに家のないものには、寝泊り小屋建築材料として竹木を無償で支給し、(熊本は暖かいから、こんなもので足りたのでしょう)社会復帰させ、土地の庄屋に当座の面倒を見させると言う、至れり尽せりのものでした。
今でも刑期満了しても帰る先のないものには、臨時に受け入れ用の建物が刑務所の近くにあります。(帰生会保護会などの名称です)
そこで滞在しながら、就職先を探す毎日ですが、(朝晩は食べさせてくれるのですが、お昼は出ません)刑務所を出ても5〜60歳を過ぎてくると滅多に就職が出来ないので、焦ります。
熊本藩の庄屋の方が何かと面倒見てくれたでしょうが、今は泊めてくれるだけです。
昨年担当した事件では、そうした焦りが再犯につながった事件でした。
服役中の2人扶持と言うのは、少し蓄えられる程度の支給をしていたと言うことです。
この思想は今でもあって、刑務所服役中にいくらかの報酬が支給され、社会復帰の資金にするようになっています。
土地の庄屋の面倒見は、今の保護観察みたいなものですが、今の保護司さんは、月に一回状況報告を聞くだけで、積極的に生活の面倒までは見てくれませんから、熊本藩の方が今よりもかなり進んでいました。
この立派な制度も、文久2年(1805年)から文久11年までの9年間停止されていました。
財政的に持たなかったのでしょうが、何とか9年で復活させたのは、その心意気と言うものでしょう。
おかげで、明治維新政府では、熊本・細川家出身者が行刑分野の先達と言うことで、重きをなしたらしいのです。
幕府の「お仕置き」という公用語でなく、刑法、刑事訴訟法、刑罰とかの現在用語も、熊本細川家の使用していた用語が使われたようですし、刑法典の編纂でも、西洋諸国の例を参考にしながらも熊本藩の御刑法草書が骨格になった可能性があります。(私の想像です)



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

 


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資