10/13/06
弁護士資格の破綻5(内部資格の創設4)弁護士数の推移2
私が、千葉で登録したときに、私達同期7名のまとまった加入でちょうど百人を超えたエポックの年でした。
(当時年間500人前後合格し、約400人が、弁護士登録する時代でした。)
前回紹介の日弁連統計を見ると、日弁連全体でもまだ、1万人に達していなかったのです。
これが、2005年ころには、千葉県の会員が340〜350名前後になり3、4倍ですが、全国では約2倍強にしかなっていないのですから、この間に千葉の全国に占める比率が大幅に上がったと言うべきでしょう。
上記推移表を見ると、1985年までは、5年間で、600・・・1300・・・600人前後の増加ですが、このころは、年間約500人の合格数で400人弱の弁護士登録でしたが、この間に年間合格者が数百人時代(昭和30年代)の高齢者の死亡による退出があって、差し引きこのような数字になったのでしょう。
1990年までの5年間で、いきなり1800人も増えたのは、バブル景気で、検事などの任官者の多数が退官して弁護士登録したことによる特需みたいな時代でした。
私の事務所にも、このころに検事退官者の就職がありました。
ここまでは合格者が500人前後で一定していたので、会員数の増減は景気変動による任官者の増減をあらわしたものです。
それまで、5年間で、600・・・1300・・・600人程度の増加だったのに、1995年から2000年〜20005年は、5年ごとに2000人〜3000人規模で増えているのは、・・・平成の司法改革がはじまって、従来の500人から、先ず1,5倍の750人から始めて900〜1100〜1200〜1500と順次大幅増員政策が始まったことによるものです。
1995年・すなわち増員政策の始まったばかりの弁護士数は、約15000人ですから、これから3000人合格が10年も続くと3万人増ですから、従来の試験で合格した人口の約2倍になるのです。
(実際は任官者が年2〜300人いますが、これに見合った退官者の参入もあるのです)
10年後には、1995年当時の弁護士の4〜5分の1前後は、死亡等で引退しているでしょうから(私もその一人かも知れません)、10年後には、1995年ころから始った増員政策後の会員が大多数(4分の3くらい)を占める時代になるのです。
こう言う時代が来れば、参入者の低レベル化と相俟って、放置すれば弁護士の信用はガタ落ちになるでしょうから、何らかの差別化は必要です。
会としては、独自資格試験を実施して、たとえば、Aクラス・Bクラス弁護士などランク付けして資格証を発行したらどうでしょう?
そしてBクラス弁護士が不祥事を起こしても、それについては、弁護士会で認めていない者だから、文句は国に言ってくれと開き直ったらどうでしょう。
内部基準なら、法(権力)が介入出来ないでしょう。
以上は冗談みたいな提案で、実施にはその資格認定が難しいので、実現は不可能です。
一種の派閥などの倶楽部を作って、派閥のブランドを自主的に形作っていくしかないのでしょうか?
既に書いたように、弁護士の能力は、市場化テストに馴染み難いので、結局は、弁護士の信用は、大手か中小かと言う基準しかなくなるのでしょうか?
そうなると個人事務所は、やっていけなくなり、みんな大きな事務所のサラリーマンになるしかない時代が来るのでしょうか?
各種産業の辿った道ですが、事務所の経営者だけが自由であると言うだけならば、一般会社とどう違うかと言うところですから、個々人の自由を前提とする自由業としての弁護士の死滅です。
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