10/10/06

同胞意識2と・・異民族排斥(国の興亡)1

国単位に共済意識を広げると次に来るのは、国際難民の受け入れ問題です。
日本は国際的に見て、難民受け入れに厳しいといわれるのは、・・・・民族を越えた助け合いと成ると、まだ国益1本槍の社会ですから、これを乗り越える思想が発達していないからでしょう。
口先では、「人類みな兄弟」とは言いますが、実際にはそこまで実感できる人は、少ないでしょう。
これを実感的に理解出来るようになるのは、カナダやアメリカのように、異民族が交じり合って住む社会が長く続かないと無理ではないでしょうか?
ちなみに、いまや異民族混合国家はアメリカだけではなく、ドイツでもフランスでも、そうですし、以前書きましたが、マレーシアなど東南アジアでも、中国でもロシアでもそうです。
世界中が多民族国家であることについては、01/24/05「価値観の共有する社会2」その他で書きました。
こうしてみると日本だけが、異民族非混合国家になってしまい、日本だけがよそ者の受け入れに反対する特異な国家になる可能性があります。
江戸時代の閉鎖社会・・・どこまでも助け合う社会を前提とした共済意識が、他所者排除意識にも繋がっていたのです。
村落共同体や今の自治体が強固になると、その分個人責任や親族責任は没却されがちです。
国家が強くなれば、自治体の存在が薄まるのと同じです。
アメリカでは個人主義と言われますが、現在日経で連載中の行天さんの履歴書でも書かれていますが、貧しければコーヒー1杯飲めなくとも誰も手を差し伸べない社会なのです。
中国や朝鮮ではご存知のように、国家よりも一族の助け合いが基本です。
アメリカなども、砂粒のような個人の社会ですからその結果、(映画を見ても分かるように、)たよれるのは、夫婦親子だけですので、その付き合いが、とても大切にされています。
こう言う社会では、糸電話のように離れていながら繋がる関係ですから、隣近所の人が異民族かどうかは、それほど問題ではないのでしょう。
場を異にしながらも一族間で糸のように遠くまで繋がる社会では、生活の場を共通にすることにあまり意味を持たないのでしょう。
これが多民族共棲のしやすさに繋がっているのかも知れません。



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