10/06/06
地方の人材確保2
現在の人材移動方式は、中央省庁や全国展開する大企業の本社所在地にならない限り、出て行く人材よりも定着する人材の方が、数が少ない上に、出ていった人材の数段階下の人材だけが定着する結果となるので、地元は次第に疲弊していくでしょう。
中央が地方から人材吸収するシステムの問題点については、10/02/03「地方自治と人材3(憲法38)」前後、12/16/04「地方都市と観光行政6(地方の独自性2)無洗米」などあちこちに書いています。
結局千葉の問題点は、日本全体の地方の問題点でもあるのです。
ただし、トヨタのような世界企業でも、あまりにも田舎であるトヨタ市には、エリート層の定着率が弱いでしょうから、(勤務しているあいだだけ、やむなくトヨタ市にすむと言う腰掛式意識です)本社があれば良いと言うだけではなく、それ相応の文化成熟度その他が必要とされます。
結局こうした全社員や世間の意識を無視できなくなって、実質的本社を東京に移し、そのうち正式な本社も東京に移す会社が後を断ちません。
こうした移動の仕方は、日本だけでなく世界中・いや古今を問わずと言ってもいいでしょうが、戦国時代もその前も、エリートは地元にくすぶってはおらず、日本中や世界中を駆け巡っていたのです。
例えば日蓮は、房総半島の出身ですが、彼はあちこちで修行して歩いているのはご承知のとおりですし、有名になってからも全国を歩いています。
もちろん親鸞もそうです。
もっと昔で言えば弘法大師も、讃岐出身ですが、あちこち歩いて結局は讃岐に戻らず(讃岐に本拠地を構えず)、中央で活躍して終わりです。
各地の移動のパターンには、防人や難民・・今で言えば労働者階層などの庶民の移動と国司等のエリートの移動の2種類があって、(ザビエルのような宣教師の移動と一般の移民の違いです)
地域の将来のために必要な人材移動は、難民や底辺労働者のなどの吸収ではないことが当然です。
前回コラムで、現在ではせっかく地元で大手企業が育っても、結局は中央に本社を移してしまう弊害を書きましたが、江戸時代は歴史上初めて領地が固定化し、人材の移動がかなり(全部と言う意味では有りません)固定化されていた特殊な時代と言えるでしょう。
島津でも毛利でも、殿様が殆ど江戸に常駐し、事実上江戸が本社化していたのですが、それでも本拠地が移ると言うことはありえませんでした。
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