10/05/06
千葉の歴史35(千葉人23)気楽な社会1
このようにして、戦後の工場進出期にも千葉人を素通りして、近代化が進んでいったのです。
もちろん、今は2世の時代ですから、私の書いているのは1世(昭和30年代中ごろから40年代中ごろ)までの話です。
その後バブル期を経て、今は、どこの出身者が多いのかは分かりませんが、千葉県民は多民族化しているのでしょう。
この話は、私が若手弁護士のころ(昭和50年代の前半ころですから、戦後の生き証人がごろごろいました)調停の合間に調停委員との雑談で聞かされた話しに基づいています。
ちなみに、調停委員になる人は書記官上がりや弁護士がやっている他、県の部局長経験者・校長先生などの定年後の仕事でもあったのです。
そこで、彼らは戦後の行政経験に基づく裏話を、実体験に基づいて、持っているのです。
彼等は、当時60〜70歳くらいの人ばかりですから、大正生れで戦中戦後を生きて来た人々ばかりです。
定年後の仕事と言えば、私が、選挙管理委員になったのは平成4年頃でしたが、その当時の委員の先生方は、67〜68才から70歳過ぎ(昭和元年前後生まれ)の方々ばかりでしたから、酒席での話になると兵隊での話や戦時中の話しが中心になったのです。
(今では70歳前後では、戦時中の話を知らない人になっています。)
ちなみに県庁の役人・・・・部局長クラスは、自治省から出向で来て、そのまま居着いた人(他所者)が多いので、意外と怠け者?の多い千葉県人に対して批判的です。
本省からの出向制度と地方自治の関係については、10/08/03「教育改革13・・・・・天下り・補助金と地方自治の本旨(憲法40)」など地方自治のコラムで、あちこちに紹介しました。
そこで、彼らとしては、せっかく千葉人のために努力しても、直ぐに辞めてしまう不甲斐ない千葉県人に対するこうした感慨を、他所者らしい私にぶっつけたのでしょう。
別の話題ですが、3〜4年前に我々同期の忘年会で出た話題ですが、ある弁護士(私のように他所から来た弁護士ではなく、多分生粋の千葉人でしょう)に対して、何年か前に調停委員にならないかと言う話があって裁判所へ行ってみたらしいのです。
言ってみると、裁判所からああでもない、こうでもない(交通事故起こさないようにとか、人の話を根気よく聞いて下さいなど・・・・)と公務従事の心得みたいなものを、くどくど聞かされて黙って聞いて帰りました。
しかし、「あんまりうるさかったのには頭にきてしまい」、(その弁護士の言葉です)事務所に帰ると直ぐ電話して、そんな七面倒くさいのでは、やりたくないとすぐに断ってしまったらしいのです。
それ以来、何回勧誘があっても断っていると言う話がありました。
調停委員になる以上は、
「弁護士のように、言いたいことを言ってては、困る」
のは分かりますが、一々うるさすぎるので腹が立ったらしいのです。
まあ、千葉の人には、そういう贅沢なところがありますよ。
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