10/03/06
江戸時代刑罰の種類9(細川家の刑法)明清律系
ここで幕府の公事方系とは違う、明清律系の刑法・刑罰を紹介しましょう。
明清律系は、法典の形式を、総則にあたる部門と各犯罪類型別に分類するなど、編纂技術上高度であること、第二に刑罰理念の点で、追放刑を廃止して新しい教育刑思想による徒刑を採用していることが特徴です。
明治の刑法(即ち現刑法でもあります)と形式が似ています。
熊本細川家は、「公事方御定書」より12年遅れですが、宝暦4年(1754年)の「御刑法草書」を制定し、追放刑を廃止し、今の言葉で言えば刑務所制度を実施したのですから、わが国の歴史に残る先駆的業績でした。
ただし、10月3日・・・1に書いたように、細川家は大大名ではあったのですが、江戸に比べて犯罪が少なく小回りの利く地方藩であったので、理想どおり新機軸を実施できたのでしょう。
明清律系も藩によって多少の違いがありますので、以下、代表的、先駆的といわれる熊本細川家の御刑法草書を紹介してみましょう。
笞刑は(鞭ではありません。日本では革でムチ打つのではなく、竹の材料だったのでしょうか?)10〜100までの10等に分かれ、(結構細かいですね)徒刑は1年から3年まで半年刻みで五等級あって、これにムチ刑も組み合わせることになっています。
さらにその上には、額入れ墨ムチ100徒刑3年、額刺墨笞100徒刑3年、額刺墨笞100雑戸の3等を加えて計八等と言うのもあり、すご〜くきめ細かいのです。
死刑には、刎首、斬、斬梟(斬プラス晒し首?)、磔、焚(火炙り?)の5種となっています。
死刑をのぞけば、それまでの旧刑罰ではすべて、(と書かれていますが、殆どの誤りか?或いは徒刑の分すべてかも?)追放刑だったのですから、画期的な改革だったのです。
徒刑は、平成15年12月12日の「会津の悲惨2(刑務所の歴史1)」コラムでも、書きましたが、手間と費用のかかる制度です。
熊本細川家では、囚人を収容する小屋を建て、そろいの紺染めの衣服を着せ、1日あたり2人扶持(米1升)を支給し、辰の刻(午前8時)から、未の刻(午後3時)までを労働時間としていました。
現在の自発的労働者よりも、労働時間が短くてかなり楽ですね。
犯罪者の服役の方が、自由人の仕事よりも楽な訳がないのですから、私が、江戸時代の農民は、しょっちゅう祭りだ、法事だ何だかだといっては、お休みが多かったと書いて来ましたが、当時の百姓など自由人は、これ以下の労働時間だったことが、この服役ルールからも推測できます。
私が、川勝先生の意見に反して、鎖国後の江戸時代でも、今の基準で言えば、結構怠けていたと言う所以です。
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