10/03/06

江戸時代の刑罰の種類8(各藩の刑法1)

「公事方御定書」の影響で、各藩では刑法典の編纂事業が活発化したようです。
公事方御定書成立の過程については、12/16/03「公事方御定書1(刑法4)(江戸時代の裁判機構1)で紹介しました。
その後2年10ヶ月近くもコラムが横へ行ってしまい、もうお忘れの方が多いでしょうから、もう一度お浚いしますと、この編纂がなったのは、寛保2年(1742年)でした。
その後、これを真似して、幕府そっくりに作ったり、それを吸収する幕府系統の刑法典を作っている藩には、盛岡藩文化律、亀山藩,議定書、鳥取、福井、福山、松代藩、御仕置御規定などがあります。
(当然幕府系が多数派です。)
仙台藩、評定所格式帳は、幕府よりもずっと前の元禄16年の制定ですが、同系統です。
これに対して、もともと、幕府とは別に清朝の制度を優れたものとして研究していた学者の意見で作った系統・明清律系と言うものもあります。
このグループには、熊本藩の御刑法草書、会津藩刑則、弘前藩御刑法牒、和歌山藩国律、新発田藩の「新律」などがあります。
江戸時代にも、刑法学者がいたのでしょう?
幕府親藩の会津、編纂を命じた吉宗の出身藩である和歌山が、幕府とは別系統と言うのは、一見皮肉です。
それぞれの研究の歴史があるので、幕府が公事方御定め書きを作ったからと言っていきなり、その真似をできなかったのでしょう。
幕府と仲が良いかどうかではなく、研究の歴史の先後によるとも言えるのです。
実務研究の遅れていたところが、幕府に追随しただけとも言えるでしょう。
ちなみに、ここで幕府とか藩と書いているのは、牧英正氏外の法制史教科書の丸写しだからであって、私は既に書いたように、藩と言う概念や幕府概念の無制限な利用に疑問を持っています。
とりわけ、藩は、07/19/05「藩の始まり(政体書)1」で紹介したように、明治初年に政体書で始めて公式に出来たに過ぎない概念でしたから、当時は、そういう言い方をしていなかったと思われるのです。
当時藩といわなくとも、後にそう言うようになったならいいじゃあないかと、思う方がいるでしょうが、そんなことを言い出したら、徳川のことを今の総理みたいなものだから徳川総理と表記したらどうなるかとか、藩のことを今では県と言ってるのだから、「熊本藩の・・・・・」と言わずに、熊本県とか和歌山県の刑法がどうだったと書いてもいいことになります。
何故、明治の初めに出来た藩と言う概念を江戸時代の、地方組織に当てはめて言うのか疑問です。
また、幕府概念についても、03/15/04「幕府概念の破綻6」前後で連載しましたので、興味のある方は参照して下さい。



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