10/01/06
公事方御定書7と刑罰の種類7(死刑数の今昔1)
「公事方御定書」を紹介しているうちに、江戸時代の刑罰の説明からいろいろ深入りし、話が横へ横へと行ってしまいました。
12/24/03「刑罰の種類6「公事方御定書4」(身分とは?1)」(「公事方御定書4」となっていますが、12月22日に「公事方御定書4」があるので「公事方御定書5」の記載間違い・・ミスでした)のコラム以降の続きになります。
ちなみに、「公事方御定書6」のコラムは、02/15/04「公事方御定書6と罪刑法定主義1(憲法44)」として、違った角度から今年の2月に書いています。
刑罰の種類を上記12/24/03「刑罰の種類6「公事方御定書4」(身分とは?1」のコラムまで、紹介してきましたが、最後に死刑数の話です。
死刑の実際がどうであったかを見ますと、幕末の文久2年(1862年)から慶応元年(1865)までの研究によると、庶民の死刑は総数427人となっていて、年に100人あまりに上る死刑ですから、かなりのものです。
その他に、安政の大獄などで処刑された武士階級に対しては、別の死刑もあったのですから、ものすごい死刑数といえるでしょう。
しかも、これが幕府だけの統計だとすれば、諸藩を加えるとなおさら多いといえます。
本にははっきり書いていないのですが、諸藩の正確な統計までは普通は手が廻らない筈ですから、私は幕府関係だけの統計ではなかろうかと思っているだけです。
諸藩の統計まで研究している人がいるのかどうか私には分りませんが、流れ者の集まる江戸や京・大阪などを支配する徳川家と違い、諸藩の方は家族に至るまで御互いに知り尽くしている小さな社会が基本で、しかも農業従事者が人口の殆どでした。
何十万石と言う大藩は滅多にないだけでなく、その大藩の場合には、数万石単位の家臣が領地を分属支配していたので、社会単位の小ささは同じです。
こう言う社会では、犯罪は少なかったでしょうし、ましてや死刑になるような大事件は、何年に一回もなかった可能性がありますので、諸藩を加えても大差がなかったかもしれません。
ちなみに、今の死刑執行は、年に数人またはゼロが続いているのです。
今の実務から考えると、江戸時代末は、驚異的な死刑の実数です。
今の中国での死刑執行数は、09/24/06「刑の執行2と権力の強弱(赤紙と法輪功の場合1)」のコラムで紹介しましたが、年間5〜6000人の死刑執行数と言われています。
中国では、人口数でさえ、正確に分からないと言うくらいですから、その他の統計技術も発達していないばかりか、その基礎データ自体の蓄積処理・・社会系諸学の基礎的インフラが、まだしっかりしていないのです。
これにかこつけて、統計に出ない事実上の死刑も無数にあるので、(法輪功の場合には、死刑ではなくヤミで殺されているのです。)正確な死刑数はもっと多いのでしょう。
この数字を現在の日本の死刑判決数(年間5〜6人です・・・・後述しますが、実際の死刑執行数はもっと下がります。)と比べれば、天文学的格差ですが、120年以上前の江戸時代末の日本の死刑数と比べればどうでしょう。
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