10/20/05

中東諸国王制・・・エジプト2(イスラエル建国衝撃

しかし、イギリスの与えた独立は名目的なものにすぎなかったため,以後議会に優勢を占めたワフド党は,イギリスおよびこれと結んだ国王に対して抗争をつづけます。
今のヨルダンでもサウジでもそうですが、国王は自分の権威維持が主眼ですから、後ろ盾となっている(旧)宗主国の言いなりになる傾向があるのです。
これが行き過ぎると、却ってイラクやシリア、イランなどそれぞれ激しい革命が起きるのです。
1936年エジプト政府は、イギリスと同盟を結び,スエズ地帯へのイギリス軍の駐留を容認し、国際連盟に加盟します。
第二次世界大戦には中立を守り,ナハス=パシャは,1945年ユダヤ民族に対抗するアラブ連合を成立させ,国際連合に加入しますが,イギリスの支持によって成立した内閣は国民の批判のうちに倒れます。
さらに1948年イスラエルの独立に始まる第1次中東戦争での敗北により,エジプトは混乱状態となります。
内戦状態の民族運動に対しては、近代軍でも対抗できないので英仏は撤退し、独立を認めますが、国と国の戦争となれば、近代装備の英仏(今ではアメリカ)に支援されたイスラエルに到底叶うわけがないのです。
湾岸戦争でも、イラク軍はアメリカの攻撃に対し、手も足も出ませんでした。
王様としては、民族感情上、負けると分っていても参戦せざるを得ず、この敗戦が王制打倒の引き金になるのですから、イスラエル建国が周辺王家に与えた影響は大きいでしょう。
1952年7月,ナセル中佐を中心とする自由将校団がクーデターで王制を倒し,国王ファルークはサウジ王家に亡命,翌年ナギブ(将軍だったか?)が担がれて彼を初代大統領とするエジプト共和国が成立します。
しかし革命の指導層内に対立が生じ、(これまでも書いているように、軍事政権では実際に有効な経済政策を打ち出す能力がなかっただけでしょう。)1954年ナセルがナギブを追放して、自分が独裁的権力を握ります。



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