10/18/05
イラクのフセインにとっては、
「石油はアラブみんなのもの」
というスローガンならば、アラブの大義も立ちますし、積年の悲願であったクエートの併合が出来て、石油収入が確保できるのですから、アメリカさえOKならば、やりたくてうずうずしていたのです。
クエートに攻め込んでも良いかの了解は、政治家同士のもっとも当てにならない阿吽の呼吸ですから、リスクの大きい判断です。
追い詰められていたフセインは焦っていたでしょうから、アメリカの半端な反応に了解を得たと思い込んでしまったのです。
これで、フセイン大統領が、アメリカから供給されれていた最新兵器を使って、本来アラブの大義でもなんでもない強盗行為に類するクエートに対する侵略を始めてしまったのです。
1990年8月2日、始めてみると,いきなりアメリカから怪しからん行為だと言われてしまい、このときから破滅の道を歩むことになります。(殆どだまし討ちみたいです)
イラクが、イランと戦争している分にはイランはアラブではないので、何とかなったのですが、同胞のクエートへの侵攻は、ただその石油収入が欲しいだけとは言えません。
昨日のアルゼンチンのコラムでも書きましたが、軍事政権の経済策というのは、接収とか対外占領とか、要するに自分で生み出すのではなく他所から分捕る・・強盗行為しかないのです。
これにアラブの大義とか圧制からの抵抗(民族自決)などの、大義名分が着くかどうかで、民族の英雄になったりするのです。
イラクによるクエート侵攻の大義名分が、周辺のサウジや首長国連邦などの石油利権で成り立っている王制国家覆滅にも、波及する言い分でした。
サウジなど王制国家は、イラクの言い分を黙視出来ませんから、これでアラブ社会は分裂し、アメリカよる大規模介入の口実を与えてしまいます。
応援してくれると思ったシリアその他のアラブ諸国も、他国への侵略には表向き支持声明を出すことが出来ませんし、ソ連もそうでした。
ソ連の方は、1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊していることからもわかるように 自分自身が自壊現象中でしたから、余計なことに口出しできる状態ではありませんでした。
これによって、米軍がアラブ国家クエートとサウジ救援のためにサウジに駐留する名分が生れ、湾岸戦争後も空中査察と称して、毎日空軍飛行を続け、イラクの疲弊を待ちます。
この間、イラクにとっては命の綱の石油輸出も制裁措置として禁止されますが、サウジらその他の石油輸出国にとっては、当時価格低迷中でしたから誰もイラクを支持せず、却って喜んでいたのです。
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