10/18/05

イラク破綻2(フセイン悲劇1)アメリカ政策

08/24/05「ナポレオン戦争の意味2(経済戦争)」のコラムでも書きましたが、軍人やスター政治家にとっては、複雑な内政よりも対外行動の方が派手で手っ取り早いのです。
彼は戦争ばかりしていて、最後は負けて終わったので、恥を掻かずに済んだだけでしょう。
ナチスも結局は、国内矛盾の解決は出来ず対外行動とユダヤ排撃で国民を誤魔化していたのです。
サダム・フセイン大統領も、手詰まり打開のために、アメリカにおだてられて対イラン戦争をしてみたものの、うまく行きません。
革命直後のイラン相手に、約10年にもわたる不毛な戦争を何のためにしていたのか疑問ですが、よほどうまくアメリカにおだてられ(騙され)たのでしょう・・・・。
確かバスラ方面の領土問題・・石油利権と海の出口欲しさに戦争を始めたように思いますが、今でははっきり思い出せません。
この戦争の失敗で、いよいよ追い詰められてしまったフセインは、国内的には少数民族クルド族への弾圧を強めたりしますが、対イスラエルに対するアラブの正義の主張など、勇敢なことをいってるだけでは収まらなくなって来たのです。
17日の1のコラムで紹介しましたが、湾岸危機以前には約10年に亘って、原油価格が低迷したままでしたから、経済的にもどうにもならなくなってしまいます。
対イラン戦争で、アメリカから最新兵器の供与を10年にわたって受けたのは良かったのですが、その分大金も食いました。
この新兵器を有効利用したいのが、人情というものです。
(要するに、おもちゃが手に入ったのです。)
こうして、突破口を求めて死に者狂いになっていたところへ、アメリカによる「あやまった」?サインが出ます。
この後に書きますが、私の考えでは、79年のイラン革命自体アメリカの演出だったように思えるので、その頃から世界中の王制や軍事政権をぶっ潰す方向へアメリカは政策変更していたのです。
その意味では、「サウジ王家などが石油で得た富を独り占めしているのは許せない」と言うイラクの主張に理解を示していたことは間違いがないでしょう。
しかし、アメリカの政策順序は、サウジ王家の始末よりもフセインなどの軍事政権の始末の方が先順位だったのを彼は知らなかったのです。



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