10/16/05

西洋植民地支配王制存続2(中東諸国王制・・イラク破綻

ヨルダン国王も、ヨルダン王室のハシミテ家はもともと、中東を植民地支配(信託統治)していたイギリスから、1923年にトランスヨルダン(今のヨルダン)の統治権を与えられ、この国の王室となったものです。
今話題のイラクも、イギリスの半植民地保護国時代は、王制でした。
イラク地方は、オスマン=トルコ(1299−1922)によって1639に支配下には入り、各地にはそれぞれに地方ボス・首長の支配する重層的支配体制だったようです。
これがオスマントルコの支配力低下に伴い次第に英仏が侵食していき、第一次大戦(1914−1918)でイギリス軍インド軍がイラクに侵入・全土制圧し、トルコの敗戦後
はイギリスの委任統治領となるのです。
これが反英運動が盛んになってくると、老獪なイギリスは飽くまで弾圧したりせずに、イラク王国建設をイギリスが承認し、間接支配を目指すのです。
国王ファイサル1世(メッカの太守フサインの子)が国民投票で1921国王になり、同時に独立するのです。
勿論イギリスの承認の下の独立ですから、ひも付き政治になります。
これが民衆の不満を煽り、後に紹介するナセルの革命の影響を受け、イラク革命(1958)となるのです。
これでカスィム政権が成立するのですが、その後バース党によるクーデターで、現在のイラク戦争の当事者となるサダム フセインが政権を握るのです。
イラクは、複雑な部族利害の対立した地域で、オスマントルコ時代はそれぞれの土着権力・部族長を通した間接統治されていた社会でしたが、これが民族国家という大きな枠組みで、しかも中央集権国家になりますと、どこの国でも行き詰まりがでてきます。
当面は対イスラエルという共通の敵論と石油収入で何とか誤魔化せるのですが、時間の経過で困難になってくるのです。
この矛盾解決が出来なくて、カスィム政権が崩壊し、フセイン大統領の権力奪取になるのですが、彼も軍人でしかないのですから、その場しのぎの弥縫策でしか出来ないのです。
その上、原油の価格も今でこそ上がって騒いでいますが、この数年前までは80年代の半額から3分の1くらいに低迷していましたから、この方面からのばら撒き政治・・誤魔化しも利かなくなったのです。



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