10/16/05
この後にも書きますが、西洋では、植民地社会は遅れている状態のままの方が便利ですから、植民地や保護国の発展には寄与したくありませんから、日本のように相手に近代化まで求めません。
現政権には、近代化やその他の厳しい自己変革を求めず、ともかく「やさしい」のです。
「それでは国際的に立ち行かないのではないか?」
という心配には、
「大丈夫、うちが守ってあげるから」
というのですから、政争に疲れた閔妃さんが、ころっと参ってしまったのでしょうか。
英仏は民主主義の家元であるにも拘らず、現在紛争多発の中東地域でも、英仏が植民地や保護国化していたときは、非保護国や被援助国の支配体制は殆ど王制でした。
勿論アジアでもそうですし、アフリカでもそうです。
植民地の民主化などに努力したことはありません。
中東地域の殆どは、元々はオスマントルコの支配下にあったのですから、本来の王様はいなかったはずですが、英仏がでっち上げたと言うか、地域の名家・実力者を王様にしたのです。
(やり方は国民の意思・クーデターその他いろいろでしょうが・・・ともかく後ろ盾となって来たのです)
イランのパーレビ朝(Pahlavi )は1922年から始まったものですし(79年の革命で崩壊)、サウジアラビアの現王家も、イブン・サウド大王がアラビア半島の中央部一帯を武力で平定して王国となったのは1932年のことです。
サウド王国は、子供から孫の時代を迎えたばかりです。
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