10/15/05

日韓併合3(朝鮮近代化への混乱

このクーデターによって、守旧派が高宗を確保して大院君の復活に成功しますが、高宗とミンピとの密使交換によって、清の軍閥袁世凱による介入の大義名分が出来て、袁世凱軍の出動でこれが鎮圧されて、大院君が捕らえられて清に連行されてしまいます。
この鎮圧も、公使館保護のために出兵した日本と、駐在していた袁世凱とのどちらが実行するかの争いになりますが、中国は宗主権を楯に実力行使してしまうのです。
このころから、日清間の朝鮮を巡る確執が具体的に高まっていくのです。
これ以降、閔妃は、何故か開化派から親清政策(すなわち旧体制維持です)に立場を変えますので、これまでの開化派は不満を持ちクーデターを打ちますが、(1884年甲申政変 )これも駐留していた袁世凱に簡単に鎮圧されてしまいます。(3日天下)
こうしたやり取りの結果、日清の対立が先鋭化して日清戦争に発展していくのですが、(台湾問題もあり争点は勿論一杯あります。)これが日本の勝利に終わります。
ちなみに、日本では日清戦争と習いますが、実体は袁世凱や李鴻章(北洋軍閥)と日本との戦いであって、清朝本体では殆ど知らないくらいの戦争だったらしいのです。
日本で言えば、幕末に長州藩や薩摩藩が勝手に英国や、4カ国と戦争していたようなものでしょう。
中国は、日清戦争後の下関条約で朝鮮が中国の属国であるという主張を引っ込め、中国の存在がなくなりましたので、朝鮮内の改革派は勢いを増すのです。
ところが、李氏朝鮮王家自体(・・当時はみんぴ主導です)は、あくまで近代化に反対でしたから、日清戦争後日本が3国干渉に屈するのを見ると、直ぐに王朝内の保守派=体制側が息を吹き返して、近代化阻止の巻き返しに入ります。
これが大院君なら分りやすいのですが、政権を握った閔妃(みんぴ)の行動ですからややこしい流れです
それどころか、中国が宗主国としてあてにならないことになりましたので、今度は直ぐ隣の満州まで押し寄せていたロシアの属国化してでも、王朝体制を守ろうとする動きまで出てくるのですから、不思議な国です。



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