10/12/05
朝鮮では、日本が武家政権に移行していたのを、卑しい地下人が、天下を簒奪している野蛮な国程度しか理解できず、(みんながそうだったわけでなく、そう言う理解をしたがっていたと言うだけです)日本は文明の行き渡らない野蛮国だくらいに朝鮮国内で言って、満足していたのです。
この基準からみて、武家政権の完成型である豊臣や徳川体制は野蛮人の集まりくらいにしか見えなかった(と言うより見たくなかった)可能性があります。
日本では武家が次第に力を蓄えて、独自の教養・モラルを確立していたのですが、(そのころから武士といわれるようになるのです)その辺の機微は理解できません。
ですから頭から馬鹿にした対応を取りますので、お天下様と言われていた唯我独尊の秀吉は怒ってしまうという流れです。
前回紹介した、シンガポール人のジョークを理解できない・・・・・自分の基準しかない頭の固い民族だったのか、そう言う見方しかしたくなかったのかというところです。
そうは言っても、李氏朝鮮自体が武人が創立したものですし、唐でも宋でも最初は武人が創立するものです。
創立後安定すれば、儒家が牛耳るものと決めていただけの話ですが、李氏朝鮮の成立後何百年も経ってしまうと、朝鮮人には文武百官でなく、武官だけで占めている政権など見たことがなかったし、嫌悪感すら抱いていたでしょう。
明治政府も維新の結果を報告しても、馬鹿にされたのも同じ流れです。
国際紛争というのは、当時は国論(マスコミ)などあまりありませんから、首脳同士の交際・・国書外交が現在よりもずっと重要でした。
相手の出方によって、頭に来たりして起きることがあるのですから、個人感情を無視して歴史を見ても間違うのではないでしょうか?
元寇の役もそうですが、幸い神風で勝ったから良いようなものの、日本の対応が強引過ぎた所が、戦争を誘発したものです。
当時の元は、何がなんでも武力制圧を望んでいたとは思えないのです。
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