10/12/05

木靴をはいた貴族裸足平安時代までの身分

当時の貴族は、直に土の上を歩くことすら忌み嫌い、恥かしいことのように思っていたのです。
ずっと後の正中の変(1324年(正中元年)のときだったか、後醍醐天皇側近の日野資朝が命懸けで参内する場面があります。
この危急のときでさえ、長装束や牛車にこだわり、清涼殿か紫宸殿か忘れましたがこの殿舎に駆け入る直前に捉えられています。
命にかかわるときでさえ、(しようもないことに)こだわっていたのが、貴族というものです。
(このときは、佐渡に流されただけでした)
今でも天皇家のご到着のときに、車寄せから玄関の式台まで毛氈を敷き詰めるのは、その名残です。
ついでに言えば、このルールのおかげで、御殿に駆け込んでしまえば、鎌倉派遣の警護の侍は立ち入りが出来なかったのです。
これに対して、当時の武士は、裸足で歩き回り、貴族はわざわざ歩き難い木履をはいて、長い衣を引きずって歩いていたのです。
当時の武士は、貴族の使い走りでしかなかったのです。
彼ら朝鮮の思想では、武家などは低く見るどころか、卑しいものとして見下す習慣ですし、(朝鮮の身分制では、せいぜい良人・常民階級でしょうか?)武家が政権を壟断すること自体が許されない非道徳なことなのです。
文民支配については、 08/20/05「文民支配の基礎4(憲法123)(軍国主義の実体は)」のコラムで書きましたが、日本の武家政権は戦後の韓国や中南米や、サイゴンで続いた軍事政権と同じではなく、社会の実状に通じた政権と言う意味でした。
観念的学問しか知らない朝鮮の学者は、そこの違いが分らなかったのでしょう。



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