10/11/05

日韓併合1(朝鮮専制君主制の崩壊

話が少し離れますが、朝鮮の専制君主制の崩壊も少し見ておきましょう。
辛亥革命(1911)で、中国の専制君主制が崩壊し、以来中共軍(人民解放軍とも言いますが、体制が固まると人民に対する鎮圧装置になるのですから、今ではブラックユーモアかな?)が、国府軍を台湾へ追い落とすまでの約40年間は、内戦・混乱期が続くのです。
当然この間には、官僚制も機能しません。
ところで辛亥革命の直前の1910年、(明治42年)日本は、従来型の朝鮮王朝体制のままでは朝鮮の近代化が遅々として進まないと見て、日韓併合を断行します。
これによって、李氏朝鮮は崩壊し、李氏の一族は、日本の王族としての待遇を受けることになります。
(大院君の系列は別待遇でした)
この結果、朝鮮の科挙官僚制が完全に崩壊するのですから、朝鮮の方が中国よりも少し早く近代化に進んだことになります。
(中国では1904年に科挙試験が廃止されていますが、人材が徐々に入れ替わり、官僚制に影響するのは、革命がない限り、何十年も後のことだったでしょう。)
幕末ころからの日本の朝鮮に対する関係は、押し寄せる欧米列強に対抗するために共同で近代化して立ち向かおうとするものでした。
李氏朝鮮は全くこれに耳を貸さず、それどころか開国した日本に対し、裏切り者扱いで、非難するばかりでした。
あまりにも、その非礼さに日本では怒って、明治初年に西郷隆盛が下野するきっかけになった征韓論が噴出したのです。
このころは、国力に大差がありませんから、日本は欧米列強に対抗するために協力して欲しかっただけで、朝鮮半島を植民地にするような状況ではありませんでした。
何でも植民地主義の発露と言う色眼鏡で解釈する向きがありますが、植民地主義というこじつけ解釈はいくら何でも、この時代にまでは出来ないでしょう。



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

稲垣法律事務所コラム内:韓国、朝鮮に関するコラム


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資