10/09/05
私の考えでは、自由主義か共産主義か、王制の復活か軍閥かの違いよりも、先ず、専制性に付随した官僚制の打破こそが必須だった筈です。
専制君主でも啓蒙的な場合ドイツのフリードリっヒ大王や日本の明治体制のように、生産性を飛躍的に上げることが可能だったのですから、停滞の原因は官僚主導かどうかにあったと言うべきでしょう。
ところが、その後の軍閥割拠を経て国共内戦の結果、最後に国民が選んだのは、2000年間も馴れ親しんだ官僚主導社会を前提とする・・・・・生産計画まで何でもお上が決めてくれる共産主義政権だったのです。
専制君主時代の官僚は、生産計画や出荷計画にまで口を出さなかったでしょうから、社会主義社会というのは、言うならば究極の官僚主導社会になった時代でしょう。
最後の勝利者となった政権が共産主義政権・社会主義社会では、同じく官僚主導社会ですから、社会の停滞を脱する仕組みにはならなかったので、解放経済に移るまでの間に日本との差が更に開いてしまったと言えるでしょう。
それどころか、本土とは大きな格差があった筈の台湾にさえ、大きく遅れを取ってしまったのです。
中央集権体制・・官僚主導社会ではどうにもならないことが明らかです。
中国では、やっとそのことに気づいたのでしょう。
開放経済とは共産主義制度を、そのままにして、自由な経済活動を認めるというのですから、矛盾と言えば矛盾です。
しかし、社会主義と言っても昔から出来る所からやっていこうとする制度ですから、分配の公平をめざしながらも、この方面では、厳格に目的を追及せずに緩めて運用することは矛盾ではありません。
そして、計画経済かどうかは、社会主義に親和性があるというだけで、本質的な関係があるとは言い切れないでしょうから、これだけを放棄した・・・・すなわち官僚主導を止めて、民主導に切り替えたと言うことでしょう。
関連ページリンク
稲垣法律事務所コラム内:役人,官僚に関するコラム
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
