10/07/05

専制君主制と官僚脆弱さ5( 半農半士日本武士

実力の基礎である荘園経営が、武士に簒奪されていく過程で、平安貴族の実質的地位低下が始り、ついには武士の天下になっていくのです。
これが、中国や朝鮮では、武士階級に移らずに、皇帝に吸い上げられていったのが、大きな違いでしょう。
日本の荘園主に当たるべき高級役人が単なる給料取りになってしまったのですから、彼らが一旦失業すると、家庭教師くらいでは、それまでの豪勢な生活水準を保てません。
話が変わりますが、宋時代の水滸伝をご存知でしょうが、彼ら正義漢は梁山泊に籠もるのですが、その前提として、恒産がなかったことも無視できないないでしょう。
当時は、陶淵明の時代のように「帰りナンイザ」という自分の領地がなくなっていたのです。
中下級役人にはそうした道もないので、それは大変な事態です。
自分たちから進んで、地位保全のために上の命令に従うのに、汲々とした性格が形作られていくのです。
これでは、「君君たらずとも臣臣足らざるべからず」(無茶でもなんでも聞かねばならない・・・)と言う儒教の教えが先にあったのではなく、役人の方が先にそう言う行動に移っていったから、そう言う道徳が生れたのでしょう。
孔孟の時代には、君主の心得を中心にが説いただけで、君主が何をしてもよくて、臣下が常に従わねばならないなどという思想ではありませんでした。
日本の武士団は、自分の地盤がありますので、上が無茶を言うなら敵対する別の有力者についてしまえる自由があったのですから大違いです。
ただし、家の子郎党といわれる自分の領地を持たないものは、失業すると大変ですから、ここでは当主の命令一下、行動する軍団適性格を持っていたので、重層的道徳の社会でした。
下克上時代と言っても、家臣が主人討つのは「しい逆」と言って、許されなかったことを前にも書きました。
「零落」と言う熟語は、中国での高官が地位を失うと直ぐにも窮迫するのを表すのに、ぴったりのような気がしますが如何でしょうか?
科挙に合格して地方の太守になったと言っても、皇帝直属のサラリーマンでしかないのでは、勘気を蒙って職を失えば、たちどころに生活に窮する時代が1900年まで続いたのです。



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