10/07/05

専制君主制と官僚脆弱さ4( 荘園主の貴族・・日本

武士でも、武術に練達していれば、失業すれば剣道場を開けますが、それは一握りと言うところです。
ところで唐や宋の時代には、それ程社会が発展していなかっただけではなく、日本の地方のように農民が豊かではなかったので、芭蕉翁のようには行かなかったでしょう。
日本では、松尾芭蕉とまでは行かなくとも、サラリーマン化した武士が失業すると寺子屋の先生という職業がありましたが、中国ではどうだったでしょうか?
それ以前の武士は半農半武士と言う職業でしたから、お城勤めがなくなっても食うに困るものではありませんでした。
武士が専業化したのは、信長が専業足軽を使うようになってからでしょう。
これとても、専業化していたのは本来の武士ではなく雑兵だけであって、本来の武士は(徳川の旗本・御家人は別です・だからこそ弱体化が進んだのです)幕末ころまで、地域に根ざした半農半兵の生活だったのです。
いわゆる国人層というグループは、従来からの大名が滅びても、次に進駐した戦国大名が無視できない勢力であった所以です。
この辺のことは、12/27/04「兵農分離3(外様・戦国大名の場合)兼業農家の歴史1」前後のコラムで紹介しています。
中国では、早くから官僚は専業役人になっていましたから、失業すると、科挙に合格した高級役人には、予備校や熟の先生の口があったかもしれませんが、それ以下の中級、下級役人は大変です。
日本でも平安時代の政府役人は、中級下級を問わず、似たようなものだったでしょう。
いわゆる貴族階級は荘園主でもあったので、公的地位に関係なく生活力は別のところにあったのです。
保元の乱では、藤原氏の「氏の長者」と言う荘園主の地位の承継をめぐる争いが発端のひとつになっていたことからも分るように、そのころは公的地位である摂政関白だけでなく、氏の長者の地位を承継できるかどうかが大きな関心事だったのです。
北條執権家では、時宗以降、執権職になるどうかでなく、得宗家を継げるかどうかが重要であったのと似ています。



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