10/05/05
ご存知のように、中国では古代から、かなり偉い人でも2〜3代もすれば貧しくなってしまい、零落するのが、あたり前の社会ですが、これは、専制君主制とセットになった科挙官僚制官僚制の完成と関係があると思います。
これまでも書いているように、専制君主制は宋で完成したというだけであって、秦の始皇帝・・・いや、それ以前の春秋戦国時代の諸侯自体も専制的に君臨していたのですから、この有り様は、中国の諸侯や君主のもともとのパターンだったのです。
この点、日本の大小名の場合、権力の最盛期の戦国時代でも,傘下の諸豪族や国人の糾合したものでしたから、軍議ですら合議しないと動かない仕組みでした。
一人一人の国人層もそれぞれに家人や親族を抱えていて、その合議で行動しているのが普通で、当主一存で動けば反発を受ける社会でした。
つい最近では、「加藤の乱」で、派閥のボス・加藤紘一氏が、派閥内の根回しなしに森政権に挑んだことが、内部反発となって、せっかくの自民党内第2の大派閥が分裂してしまったことは、記憶に新しい所でしょう。
専制的君臨の有り様は、中国では古代から下地としてあったのですが、体系化されていなかっただけで、科挙や律令の発達につれて徐々に形成されていたのが、宋代に思想的・制度的に完成しただけのことでしょう。
ところで、官僚の脆弱性についてですが、宋以前でも、盛唐の大詩人杜甫は、やっと下級公務員になれたのに安録山の乱で棒に振って諸国流浪するわけですが、一生涯生活に困っています。
彼の祖父杜審言は、沈せん期という人と共に則天武后のサロンを形成した有名な宮廷詩人でしたが、唐王朝の復活で、南方に左遷されます。
杜甫はその孫ですが、3代目になると自分で官途に就けない限り、食うや食わずになってしまうのです。
関連ページリンク
稲垣法律事務所コラム内:役人,官僚に関するコラム
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
