10/05/05
明治以降の「4民平等・一君万民」と言うキャッチフレーズは、宋代の君主制と似ていますが、日本の場合は、天皇家の外に華族制度がありましたから、宋代よりも少し前の制度と似ています。
華族制創設の経緯は、07/21/05「藩の消滅4(廃藩置県5と華族制度)」のコラムで少し紹介しましたし、後にも詳しく書きますが、維新当初は本来華族制度を予定していなかったのです。
しかし、憲法制定に向かう途中で国民の参政権が認められると皇室が直接国民に接することになるのでは、困ると言う懸念から藩屏として急遽創設されたものでした。
宋代には選挙制がなく、科挙官僚が皇帝を取り巻く仕組みでしたが、明治には憲法制定によって選挙が予定されてきたので、藩屏が必要になったのです。
宋代には、衆議院がないので貴族院の必要すらなかったのに対し、明治政府は衆議院があるから貴族院が必要になったのと言えばいいでしょうか。
しかし、華族は廃藩置県以降牙を抜かれた状態で20年近くも過ぎていましたから、名誉職みたいな役割でしかなく、科挙以前或いは科挙官僚と並存していた実力のある門閥と、同じ役割にはなり得ません。
宋代では、文字とおり一君万民で、官僚は皇帝に直属し、その間に貴族や豪族の介在する余地がなくなってしまったのです。
宋代には、いわゆる文武百官と言っても地盤も何もないのですから、官僚はクビになればおしまいですから、砂粒のように弱くなってしまいました。
こうして官僚 (文武百官)は上から下まで、皇帝に隷属するしかなくなってしまったのですから、専制君主制の完成期といえるでしょう。
宋時代の科挙制が、一種の完成型として有名なわけです。
関連ページリンク
稲垣法律事務所コラム内:役人,官僚に関するコラム
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
