10/04/05

専制君主制完成2( 思想変化

ただ、中国でも宋代には、経済発展が著しくて、宋の都の繁華を伝える孟元老の「東京夢華録」あるいは張沢端の「清明上河図」で描かれる繁華な賑わいは、商業都市そのもののたたずまいです。
また宋、特に南宋は長江流域に領域があったせいで、海に開かれており、清盛の日宋貿易で知られるように、日本だけでなく海外との貿易も盛んでした。
貿易の盛行は、地方豪族に関係がないので、おのずから皇帝に権力が集中する傾向があるのです。
朱子学は、南宋で完成したのですが、南宋すなわち中国南部は食の豊かな地方ですし、長江流域はいわゆる水郷地帯ですから、水運による物流が簡単ですから、域内の交易も発達していたものと思われます。
そのせいで、貴族制が崩壊し、科挙による官僚だけが士大夫として政治に参画できる時代になって来たので、儒教もその現実を無視できなくなったのです。
乾燥した黄河流域を(中原)中心とする春秋戦国時代には、中国も商業国家から農業国家化していたのでしょう。
それが、群雄割拠の戦国時代を生み出した原動力だったのではないでしょうか?
そうした社会で生れた孔孟の教えでは、王の下に諸侯が存在する仕組みを前提としていたのですが、再び中国社会が商業社会化してきたので、これに合わせた思想にならざるを得なかったのでしょう。
多分、今では、儒教も進化して社会制度の変革も許容するようになっているでしょう。
このように思想が社会の発展を止めることを出来ず、社会の進歩が一定程度に達すると思想内容の変化を促すのですが、進歩を嫌う思想で教育されていると、そのインセンチブが弱くなってしまうので、進歩が止まりやすいのです。



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