10/02/05
ところで、わが国では明治以降の西洋法継受の過程で、律と令の関係は再び古代の分類に戻っています。
明治以降では、法律と政令・省令の関係は、律令制発足当初と同じ文脈・・・すなわち法律は国会で決めて、その運用にかかわる細かい施行令などは、政・省令で決めるとして使い分けられていますので、古代の分類に戻ったことになります。
ただし、法律は今では刑法だけでなく民事関係や行政、税務など数え切れないほどの分野にまたがっています。
話を戻しますと、法家や儒家の思想は、内部秩序の分野ですが、食うか食われるか命がけで戦っているときには、内部規律も大事ですが、先ずは外に向かって戦闘力のある意見の方が重視されます。
思想家としては、内部規律系の思想よりも、積極的に役立つ兵法家とか合従連衡策(縦横家)や、墨子集団などの方が実践的で有用なのは当然です。
会社で言えば、拡張時代の営業部隊はイキオイが良いですし、安定成長あるいは守成時代になると総務部系が大きな顔をするのと同じでしょう。
逆に言えば総務部系や法務部ばかりが、のさばる社会または会社は、成長力がないということになります。
法律家と言っても、古代のような刑罰法しかない時代には、或いは規制法しかないような時代には、これに引っかからないような役割(自己保身・・保守そのものです)しかなかったのです。
ただ、今の時代には積極的に打って出るためにも、法知識が必要な時代ですから前向きの企業ほど法律家を必要とする時代が来ていますが、今日のコラムで論じているのは、古代の法家の思想です。
ですから諸子百家と言われる思想家が輩出したと言っても、それぞれ同時に栄えたのではなく、時代の順序・・・背景があるのです。
白馬非馬論を、12/04/02「人は死ぬと?(白馬非馬論)」のコラムで紹介しましたが、これなどはさしあたり頭の体操、論理思考を養うと言う意味では、存在価値があったでしょうから、思想家の最初のころに活躍したものではないでしょうか。
この説で有名な公孫竜は、趙の人で、生没年ははっきりしませんが、大体紀元前320年から紀元前250年の間に活躍した人物といわれています。
白馬非馬論は詭弁の代名詞のように斥けられますが、概念をきっちり分けて考える論理学の先駆者としての価値があるのです。
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