10/02/05

法家儒家順序律令

諸子百家の思想のうちで、法家が戦国末期、秦が天下を統一する直前に法家が採用され勢力を伸ばした原因はそこにあるのです。
内部引き締めには、法家の思想は合理的ですから、これによって筋肉質になって天下が統一されてからの体制維持には、儒家の思想が都合良くなったのです。
儒教よりも少し先に秦王に採用された法家の思想と言うのは、いかにも今の法治主義のようですが、実は当時そんな法は(民事法も選挙法も有りませんし、当然のことながら証券取引法も有りません。)未発達でしたから、刑罰法くらいしかなかったのです。
ちなみに法家の思想は、これまでも書いていますが、秦の孝公(当時、王と言うのは周王室だけで、諸侯は公としかいえませんでした。)の改革者商鞅(公孫鞅)(?〜前338)が、徹底した法治主義で改革して秦を列強の地位に押し上げたと言われています。
その後、韓非子が大成したのです。
これに対し、儒教が国家的に採用されたのは前漢(前208年)成立後ですから、時期的にかなり遅れているのです。
冒頭に書いたように、それぞれが必要とされる時期がずれたのでしょう。
律令に話を戻しますと、約1000年後の律令制が始ったころでも、「律」とは刑罰法の事を意味していましたし、「令」とは、その補完法のことでした。
この1000年弱の間に、民事法も行政組織法も発達せずに、古代のままで間に合ったのですから、中国世界では殆ど社会システムが変わっていなかったと言うか、進歩していなかったことになります。
今でも規「律」とか自己を「律する」と言えば、取り締まり法規や自己規制をイメージするのはそのせいです。これが、律令制の進展と言うか崩壊の過程で、「令」は刑罰以外の法・・・当時は民事や商事法がなかったので行政的分野の法にシフトして来たのです。
わが国では、律令制導入後直ぐにそうなるのですが、それだけ社会組織の発達が早かったのでしょう。



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