10/01/05
日本では、儒学は国民意識とずれているけれども、牽強付会・・・というか徳川体制にある程度あってるというところから採用されて、御付き合い気分でみんな勉強していたのに対し、朝鮮民族の儒学に対する思い入れは、本物でした。
これが、現在の朝鮮人気質を形作ったものと思われます。
「中国以上に中国的」
と言われ、今で言えば、本家のソ連や中国がみんな共産主義を実質放棄しているのに、自分だけ頑なにいつまでも共産主義を死守している北朝鮮を理解する指標になっているのです。
朝鮮人は頭が硬いとか、中国人はずるいとか思い込んでいる方が多いかもしれませんが、もともとから頭が固い民族とか勤勉な民族、怠惰な民族、美的感覚にすぐれた民族と言うものがある訳では有りません。
住み着いた場所によって、感性が磨かれたり、磨かれなかったり、或いは勤勉でなければやっていけない気候風土の場合と、そうでなく放っておけば作物が育つなどで、勤勉かどうかによる差異がそれほど生じない土地柄など、いろいろ後天的な要素で固有の民族性が生まれて来るだけなのです。
勿論気候だけでなく、ユダヤ系のように政治的境遇による人格形成もあるでしょう。
私の言いたいのは、長年にわたる境遇の違いが、違った国民性を形作るだけのことだと言うことです。
アメリカ人とイギリス人やフランス人を比較すれば分るように、わずか二〜3世代もすると、住む場所によって、体格から考え方まで違ってくるものなのです。
朝鮮半島の場合、たまたま儒学に凝り固まってきた(考えようによっては、まじめな国民性です)長年の歴史と、硬直した専制君主制が長かったので、そう言う個性を形作っただけです。
それには、これを受け入れる土壌があったことも事実ですから、本当はそこまで遡らなければなりませんが、今はこの程度にしておきましょう。
わが国のコチャコチャした国民性、或いは勤勉性は、せいぜい江戸時代以降に形作られたに過ぎないことを、12/06/03「千葉の歴史4(千葉県人と海洋史観1)」以下の勤勉革命のコラムで連載しました。
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