10/24/04

教育を受ける権利とは?2(憲法93)「改革者の資格」

弁護士や法律家自体が、「教育を受ける権利」と言う言い方に馴れ親しんでいることと関係があるかもしれませんので、平成16年10月22日に開催された弁修協での議論の一端を紹介しておきましょう。
弁修協とは、司法研修所(教官・事務局長)と日弁連司法修習委員会および、全国各地の指導担当者との協議会の略称です。
法科大学院卒業性が来春初めて出てきますが、彼らが司法修習生になった場合のカリキュラムについて、協議がありました。
いろいろな問題点がありますが、短縮された司法修習期間のうち、最後の2ヶ月を修習生の自主的な選択によって、学ばせようと言う新たな取り組み(昨年までは「総合修習」と表現し、今年からは、「選択修習」と名称を変えました。)についても話題になりました。
司会者が、「理念は分るが、カリキュラムをきちっと作って、強制しないとどうなるやら分らないない」という趣旨の過保護な意見でリードするのには驚きました。
勿論、私の考えとは相容れませんので、「メニュウの用意まではしてやってよいが、あとは、修習生の主体的な学習に任せるべきである」と述べてきました。
まだまだ、「教え導く発想から抜け切れない人」が結構多いらしいことを、昨日(このコラムは1日前に書いています)実感してきたばかりです。
このように、弁護士でも、・・・と言うよりも、むしろ弁護士だからと言うべきかもしれません。
最高学府出身で人よりも長く勉強してきたせいか、却って長年の教育観にどっぷり使っている人が意外に多いのです。
・・・・・こうした問題点は、陪審制度と民主主義の関係で02/12/04「水戸(徳川)光圀は副将軍?1(水戸学の必然性)」のコラムで、少し紹介したことがあります。
たぶん、中央教育審議会のお偉方もそうした傾向があるでしょう。
改革しようとするとき、せねばならないときに、旧来型の制度にうまくなじんで(成功して)きた人が中心になって、改革を論議するのは、自分で自分を裁くようなもので、無理があります。
「教育を受ける権利」などと言うと、お上がまず、一方的に教育する(おしえそだてる)権利があって、それを国民が等しく享受できる、難民が並んで、平等に給食を受ける権利、与えられるような印象になります。
平等に受けられればいいのであって、その内容、配ってくれるお粥の中身は問えない印象です
その結果、お上の有する教育権を、えこ贔屓なしに国民が平等に享受する権利としての語感が強くなり、教育内容については、政府にお任せと言うことになるのです。




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