10/23/04
教育改革の必要性3(市場原理の導入)
明治政府は、既に発達している民間の教育システムを無視して、最高学府を作り、国家で教育政策を統一的に推進しようとしたのは、何故でしょうか?
明治政府は、当初はそれほど思想統制の必要性に重きをおいていなかったようですが、自由民権運動の激しさに危機感を抱いて思想教育の重要性に目覚めたからに外なりません。
このことは既に、09/27/03「明治維新と学制改革(学制と教育令) 5」のコラムで少し書きましたが、民主化運動と言うのは、後世から見ると却って、重大なマイナスになることが多いのです。
こうして思想統制に利用するために、民間に任せられると言うよりも、任せておいた方がよりよい発展をする性質のある学習システムを、巧みに民間から取り上げる方向になったのではないでしょうか?
最近の事例では、司法試験受験制度の改変があります。
明治以降、政府の作った大学制度は、ほころびが来ていて、ダブルスクールの時代になっていたのはご承知のとおりです。
大学の教育は、空洞化してきて久しく、何か目的をもって学ぶ意欲のある学生は、大学に席を置いたまま実際は、学外の各種学校で学んで実力を養う時代が来てから、もうかなり経っているのです。
文部省の管轄外の各種学校や予備校は、政府の保護はありませんから、生徒獲得にしのぎを削り、(市場競争そのものです)優勝劣敗を繰り返して、結局社会的に評価のあるところが生き残って来たのです。
これを切り崩して、何とか官の統制するところ(国公私立を問わず既成の大学)に強制的に引き戻そうとするのが、今年から始った法科大学院の試みです。
現行の司法試験を平成22年ころになくしてしまい、今後は法科大学院を出なければ受験資格を与えないと言うのですから、暴挙と言うべきでしょう。
何故、自分で勉強したり、政府の認可のないところで学んだらいけないのでしょう?
我流で勉強した者は、知識や技術があってもマナーが悪いと言うのでしょうか?
車の免許は、いくらうまくても、政府推奨の教習所で学ばなければ免許を与えないと言う発想と同じです。
こうした発想は、現在社会保険庁の監修費名目による資金還流・一種の汚職問題に見るように不明瞭な関係を助長するだけです。
これまで、我流で勉強して合格してきた弁護士や裁判官が、社会に適応してこられなかった弊害があると言うのでしょうか?
これまで、公害、消費者問題その他国会で十分対応できなかった諸問題で、社会改革に十分な成果をあげてきたことは、社会的に認知されているのではないでしょうか。
法科大学院制度は、能力如何にかかわらず法科大学院を卒業しないと受験資格すら与えないのですが、今の世の中で、受験資格を限定した資格試験は外にあるでしょうか?
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