10/23/04
教育改革の必要性(ヒエラルキーの破壊)1
後追いばかりでは、アメリカ留学や、外資系会社での経歴がものを言う風潮は、いつまでたっても同じで、独自発想を軽視する風潮は変わらないでしょう。
この根源的な土壌を作っているのは、ピラミッド型の権威を法定し、権威盲従型の人間を作り続けている明治以来の文教政策にあると私は考えています。
このコラムの記事の読者は、かなり風変わりの方々でしょうから、私の思い付きだと軽視し、権威者の意見の紹介なら尊重するタイプの方が少ないと思います。(めでたしめでたし?)
(毎日何千人もの方が、私の思い付き珍説・乱暴な意見を読んでくださっているようで、感謝、感謝?・・・・いくら、読んでくれても私には一銭の収入にもなりませんので・・・感謝すべきかどうか?????と言うところですが、読んだ人も1銭の得にもならないでしょうから、ま、お互い様と言うところでしょうか?)
大方の方は、「だれそれの本に書いてあった」と引用すれば尊重してくれますが、「私の意見です」と言うと聞く耳もたないのが普通です。
明治以来の、権威盲従型教育で長い間にしみこんだ悪弊でしょう。
有名人の意見かどうかではなく、着眼が面白いかどうか、自分の頭で読めばいいのです。
今回の教育改革にあたっては、道徳教育や、国を愛する心など高邁な?議論をしているようですが、明治以来完成しているヒエラルキーを解体し、自由な競争を学問に持ち込むことこそ、真の愛国心の発露と言えるでしょう。
(そうすれば、次の日米開戦があっても負けないかも?)
あるいはまねばかりしている限り、永久にアメリカその他、その時々の先進国にかないませんから、戦争回避に働くかも知れません。
もしかしたら、詰め込み教育ばかり奨励している文教行政は、究極の平和国家をめざす政治家の深謀遠慮の賜物かも知れません。
冗談は別として、わが国は俳諧や浮世絵、落語その他各種文化の独自発達等々を見れば、決して独創性のない国ではありませんが、明治以降物まねをしている方が有利な社会が続いたのでそうなっただけです。
そうした流れは、独り政府による教育政策だけでなく、社会全般で、西洋の流儀をまねした方が能率が良い時代であったことから、そうであっただけでしょうが、私はそうした国策から、卒業すべき時代が来ているという意見です。
社会全般が変わってきているのに合せて、教育政策を改革するのが必要であると言うならば、愛国心の強調や道徳教育に戻すのではなく、真似事を基本にする詰め込み教育政策こそ改めるべきなのです。
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