10/22/04
太平洋戦争の敗因2(教育の貧困1)
明治以来の教育の問題点から太平洋戦争の敗因を眺めると、明治以降わが国では、先進国の新しい学問の傾向や既存の権威をいち早く紹介した人が、学会の大御所となり、その他の分野で大きな顔をするのが普通になっていたのが、災いしたのだと思います。
明治以降の学制の変遷については、09/23/03「教育改革・・・・明治維新と学制改革 1(江戸時代の教育/私塾の活躍)」以降、約1ヶ月にわたって連載していますので、参照してください。
周到な政府計画の実施によって、あらゆる私塾が、政府管理下に置かれるようになり、実力で切磋していくべき学問が、その時々の実力によらず、どこがトップか法定されることになったのです。
政府の思うままになる国立の帝国大学が、教育や学問のトップ機関として制度化され、大学その他の教育・研究機関は、自由な学問の場ではなく、既存の知識・技術伝達機関になったと言えるでしょう。
権威を法定するということは、本質的には、学問の死と言えるでしょう。(自由競争がなくなれば、スポーツや武芸、芸術でも何事でも発展がありません。)
最高学府と法定された構成員は、権威維持・失敗が許されないことから、海のものとも山のものとも分らない独自の発想で研究するよりも、権威を維持するためには、既存権威を習得した方が確かです。
江戸時代でも剣術指南、絵では、狩野派、学問では林大学の頭それぞれの家柄または家元制では、名門と法定されてしまうと創始者の秘伝の習得に余念がなくなって、新しい発想が出来なくなるものです。
こうして幕末ころには、剣道や学問全ての分野で、名門が実力を失っていたのはご承知のとおりです。
今でも、日体大などの教育機関から、水泳やマラソンその他の一流選手が出ているでしょうか?
同じように最高学府となりますと、評価の定まったことを学んでくる洋行帰りが幅を利かすことになって、今日にいたったのですから、(日本の学問の自由、自由奔放な思想の発展にとって大変不幸なことでした。
戦前だけではありません。
私の司法試験勉強の基本書にしていた三日月章(十年程前に細川内閣の法務大臣になりました)の民事訴訟法では、彼が、当時新進の中堅学者として、「新訴訟物理論」という斬新な説を唱えていたのですが、(私は気に入っていました。)今考えてみると、結局はドイツの最新の訴訟理論の紹介が中心だったようです。
現在でも新しい金融取引、M & A・心臓手術その他新しいことについては、アメリカで修行してきたかどうかが評価の基準で、・・・・・後述のように学んだことを精緻にするのは得意ですが、日本発の新しい取引形態や技術開発は、殆ど聞いたことがありません。
太平洋戦争勃発で先進国との交流が断絶してみると、既存の戦闘機を精緻にしたり、既存(開戦直前)の最新の発想に基づく航空母艦を増やし、戦艦を大きくし、あるいは一刻も早く敵艦を見つけるには、目のいい兵士を採用するくらいしか知恵が働かなかったのです。
そこで緒戦では、優勢に展開しましたが、1年2年と経つうちにアメリカでは、新しい発想で新兵器を開発してきたのですが、日本では2年も先進国と断絶しているうちに、飽くまで、戦争開始前に仕入れた知識に磨きをかけることしかなかったので、戦争に負けてしまったのです。
真珠湾攻撃の成功は、不意打ちだけのように思っている方が多いと思いますが、それだけでなく、既存兵器では日本は当時最新だったのです・・・・空母を本格的に利用したのもこれが世界最初だったと思います。
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