10/21/04
思想・表現の自由1(憲法92)
何十年に一回しか出ないような傑物が、一流一派を立てる自由ならば、基本的人権などと大げさに言わなくとも、親鸞や法然、日蓮の例でもわかるように、宗教界でさえも昔から自由があったのです。
西洋では、ガリレオが、「それでも地球はまわっている」とつぶやいたと言う(本当かどうかは知りません)のが有名ですが、わが国では、そんな非合理な宗教裁判もなく自由だったのです。
まして、その他の剣術家などの武道や芸能関係では、戦国時代は言うに及ばず、窮屈な江戸時代でもいくらも新しい流派や新しい芸術が生まれているのですから、日本国憲法記載の各種自由権は、近代精神とは直接の関係がないことになります。
窮屈な西洋で、学問や宗教意見発表の自由が、画期的だったに過ぎないのではないでしょうか。
このように考えていくと、「戦後の若者は、権利主張ばかりで義務を知らない」とか、ジャイアンツの前オーナーのように「分際」を弁えろと言う以前に、権利を与えるべき対象者の拡大に問題があっただけかもしれません。
自動車運転能力のない人に運転免許を与えると、暴走するのと同じで、権利行使未訓練者に対象を広げすぎただけでしょう。
そもそも西洋やローマ、ギリシャでは、市民だけの平等、民主主義であったことは良く知られています。
江戸時代の町人概念を11/06/02 「自然人(民法 2) 1」のコラムで以前説明しましたが、どこでも同じだったのです。
この権利享受主体を、戦後一挙に大衆一般に広げたところに無理があったのです。
語弊があるというか、革新勢力から袋叩きにされそうですが、国民等しく享受するような性質のものでは、なかった可能性があります。
私の意見は「無理だから、元に戻して権利を取り上げろ」と言うのではなく、「基本的人権のかなりの部分で、主体的に行動するのに必要な訓練期間が必要だった」と言う意見ですので念のため・・・。
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