10/21/04
刑罰と教育の個別化1(自由権)
野球やサッカー少年は、練習後暗くなって帰宅し、入浴、晩御飯を食べると練習の疲れで、直ぐ眠ってしまうそうですが、時間があっても勉強しない子供にむかって、母親が「宿題やれ、勉強しろ」とがみがみ言ってるよりも、不良になる率が低いでしょう。
先生もそういう子供には、宿題やってこなくとも、「朝錬(あされん)などよく頑張ってるからいいですよ。と言ってくれるので、・・・」と母親は自慢そうに私に話すことがあります。
このように、ゆとりがあればもっと創造的なことに挑戦できる素質を持った子もいれば、(これは少数です)時間が有っても持てあますだけなので、次から次へと管理されている方がよい子供(これが大多数)もいるのです。
いつものように話が飛びますが、戦後民主化に対して「今どきの若い者は権利主張ばかりで、義務があるのを忘れている」式の批判を、耳にたこが出来るほど聴いて育ちました。
(最近でも、たまに言う人がいます。最近話題のジャイアンツ前オーナー「ナベツネ」氏の「分際」発言も、その流れでしょうか)
しかし、政治、国民の教育その他あらゆる分野で、義務の問題と言うよりも、権利を使いこなせない場合の方が多いのです。
そもそも恋愛の自由、表現の自由その他いろいろな場面での自由や権利は、一定以上の能力に恵まれたごく少数の人にのみ必要なものであって、多くの凡人にとっては、却って結婚相手すら見つけ損なうリスクの方が大きいのです。
これが、独身者の増加・少子化の原因の一つになっているでしょうし、選挙での投票率低下(棄権とはよく言ったもので、文字とおり、権利放棄なのです。)の原因にもなっているのでしょう。
また近年、消費者保護制度の必要性が唱えられていますが、かなりの知的レベルの人でも、自分の専門外の事に関しては、手もなくひねられてしまう現状・すなわち権利・自由な行動よりも、マニアるや保護を求めている実情を表しているでしょう。
あらゆる稽古事や学問は、先ず、師匠につく(先ず自分のやり方ではなく師匠のやり方の模倣が最初です。)ことから始めて、一定水準に達し、これを突き破った限られたごく小数の者のみ(一つの分野で考えれば何十年に一人出ればいい方でしょう)が、一派を立てる自由があれば良いともいえます。
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