10/22/03
補助金行政と官僚王国(憲法42)
一般に「官僚」と言いますが、公務員と言うのが正しいことは、平成15年10月7日の「教育改革12」のコラムで紹介しましたが、このコラムでは、公務員が政治家より実権を持っている実態の説明ですので、公務員より偉そうな「官僚」と言う用語を使います。
税制がきついので、日本中が自治体に始まり私企業に至るまで、何をするにも、公的資金・補助金を貰ったり公共工事に関係しなければ、やっていけないようになってしまったのが、現在の日本経済といえるでしょう。
そうなると、どこに公共工事をするか、どこに補助金をつけるかの箇所付け次第で、校舎を建てられたり、建てられなかったりするのですから、日ごろから中央官庁の顔色を窺っていなければならなくなリます。
こうして、地方自治体の東京事務所が必要となるわけです。
このように、公共工事や補助金の運用は、「箇所付け」といって役人のさじ加減が中心ですから、天下り等官僚天国・官僚支配となるばかりです。
少し回り道ですが、箇所付けと政治の関係をここでみておきましょう。
政治家は、本来政策を決めるのが仕事ですが、「箇所付け」にまで口を出す権限は、ありません。
同一市内の何箇所かの候補地のうち「どこに橋をつけるか」「どこの舗装を改修するか」というのは、本質的に政治で決める問題ですが、汚職防止のためか或いは、「先生にそこまで煩わせても」と言うおだてか知りませんが、政治家はその最終決定に関与しないことになっています。
「箇所付け」は、官僚の独壇場ですから、具体的な政治は官僚がやっていると言ってもいいくらいです。
もっと正確に言いますと、道路審議会みたいなものが有って、そこに具体的な工事箇所が提示されて審議会で決めるのですが、今年の2月4日のコラムで書きましたように、委員としては、100何十箇所の一覧表のどれが悪いと言えることは、滅多にありません。
司法試験の合格ラインに同レベルの受験生がひしめいているように、提案されたリスト自体に問題がないのが普通です。
政治家のように、業者などの働きかけがあれば、自分の知っている箇所が何故乗らないのか質問も出来るでしょうが、学者や、弁護士に働きかけても効き目がありませんのでは、業者は寄り付きませんので、審議員からそういう質問をすることは、万一にもありません。
結局審議会に提案するペーパーを作成する担当役人が、全部決めているのと同じなのです。
そこで、本来最終決定権のある筈の政治家が、叩き台つくりの役人に働きかける構図が生まれてきます。
他方、建設省その他の役所が自分達がやりたい政策を実現するためには、すべて国会で立法ないし、予算化されなければなりません。
たとえば、文部科学省で昨年50校分の校舎改築予算があったとすれば、今年も前年度予算を確保したいとか、今年はもう5校分増やしたいと言う単純なこともありますし、通産省(経済産業省)が、風力発電その他の新製品の補助金制度を創設して、風力発電その他の新製品を発展させようと言うような新規政策もあります。
国会通過(その前提としての財務省通過)のためには、政治家の力を借りる、その代わり箇所付けでは、その政治家の要望を聞いて便宜を図ると言う仕組みで戦後50年余りやってきたのです。
政党が政策を提案している場合もあり、実は各省庁が自分達に都合の良い政策を考えて、それを政党の名前で出してもらうと言うゴーストライター関係にある場合もあります。
政治家は、自分の関係する業界の陳情で新規産業に対する補助金制度の創設や、廃止の先延ばしなどを国会で議論するのではなく、先ず官庁に働きかけるのが普通です。
官庁がオーケーすると、国会で、「・・・・の理由で・・・・の補助制度が必要と思うがどうか?」と言う馴れ合い質問をして、官庁も「私どもも、お説のとおり考えております。」という答弁をして法律が出来て行きます。
これに反対していると、箇所付けで仕返しされますから、その補助金に関心のない議員でも官庁からのご説明が来ると、「俺の頼んである、あれはどうなった?」と聞きながら、大体賛成することになります。
政治家も官僚も、補助金が増えれば増えるほど、自分達の活躍の場が増えるのですから、利害が一致する関係にあり、こうして補助金行政が,がん細胞のように増殖してきたのです。
たくさんの政治家の要望を、官僚が交通整理して、「今年はこれだけ出すのがやっと」という具合に法案化していくのが現状ですから、政治家は官僚の手足みたいになっています。
官僚が政治家の持ち込んだ要望・政策を整理しているのでは、官僚が政治をしているとすら、言えますね、
こうした事態は,、諸外国との外交交渉上、憲法制定や民選議院制度を外形上認めざるを得なかったものの、政治の実権を手放したくなかった明治政府としては、予定通りの骨抜きですから成功と言えるでしょう。
しかし、戦後は形だけ仕方なしに民主化したのではなく、本当に民主国家になろうと言うならば、官僚がこうした権限を牛耳ったまま、戦後60年近くもやって来て、誰もが当然のように考えているのは、憲法秩序から見て異常です。
こうした実態が変わらないからこそ、今でも官僚支配という言葉が自然に使われているのです。
官僚であるからこそ「支配」と言う言葉に結びつきますが、公務員支配と言う熟語は成り立ち難いですよね。
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