10/14/03
政策変更と政権の交代3(憲法41)選挙の意義
政権党が、従来の公共工事重視その他、バブル前の政策を大きく変えるのでは、どちらの政策が正しいかの、信を問う選挙ではなくなってしまいます。
政策変更する以上は、自分のやってきた政策(小泉氏個人ではなく、自民党の意味です)が誤りであったことを認めたものとして、「選挙をするまでもなく、政権を野党に引き渡すべきだ」と言うのが私の意見です。
今までの選挙は、環境や福祉が時代受けすると思えば、与野党こぞって環境や福祉を訴えるので、政策を争うのではなく、政権担当能力の競争となってしまいます。
そうすると、地方自治体選挙では、副知事や助役などの役人上がりが、実務に詳しいだろうとか、中央直結で補助金を貰い易いだろうと言う基準で投票することにならざるを得ません。
こうして殆どの自治体では、前助役や副知事などが昇格当選していましたから、選挙と言っても一定の地位以上の役人は、大臣から辞令を渡されると言うのと同じで儀式をしていたに過ぎません。
千葉では、県知事が前回の選挙でやっと、民間人が当選しましたが、なんと戦後55年もかかったのです。
国政選挙でも、与党は野党と同じ政策を掲げれば、国民は政策で選べません。
ここでも担当能力を競うだけになりますから、官僚上がりのほうが実務に詳しいと言うことできわめて有利ですし、政治家同士でも、実務経験のある与党のほうが有利になります。
そのうえ、補助金や、中央直結と言う非合理的要素(利益誘導)があるのですから、現職=与党有利は明らかでしょう。
人まねが許されるのでは、人と違うことを考える努力をしても、そのアイデア・政策が良いなと思えば、相手の党も同じことを主張すればいいのですから、せっかく努力しても無駄になります。
こうした選挙を繰り返していれば、独創的な考えを生み出す努力が軽視され(いつも書いていることですが、社会のあらゆる場面で独創性が無駄になる仕組みが、ここにも有ります)政権や中央との距離や経験だけが売りものになってしまい、政策を選択する選挙ではなくなってしまうのです。
政策変更を許すこれまでの選挙(与野党おなじ標語)は、選挙制度を蝕むやり方ですから、投票率も下がる一方です。
選挙を活性化し、独創性を重視する社会にするには、「野党で先に言い出した政策は、政権党が真似してはいけない、真似をしたら、 その党の議員全員が失格にする。」くらいでないと正義にかなった選挙は出来なくなります。
あるいは、少なくとも、「政権党は自分の取って来た政策変更は許されない」と言うくらいはルール化すべきでしょう。
政権党は過去の実績を審判してもらうために選挙が有るのであって、これからやることをアッピールするのは、邪道ですから野党に限るべきです。
もちろん、実務上はきめ細かい規定が必要ですから、法規で明文化するべしというのではありません。
国民の審判の基準にすべきだと言うことです。
その点イギリスのブレアさん、アメリカのブッシュさんが、今でもイラク侵攻の正当性を主張して譲らないのは、立派と言うべきでしょうか?(いまさら変えられないだけ?)
政策変更は野党になってからなら、例えば自民党も野党になってからならば、消費者を大切にするとか、金権政治打破、福祉政策をするなど標榜することが許されます。
与党と同じ政策ですと権力を握っている与党の方が有利ですから、野党はいくら真似をしても(それでは自分が、駄目になるばかりですから)いいでしょう。
でもその逆に、政権党が野党の良い政策を次々と取り入れるのは、既に書いているように公約だけの変更であって、実際は従来からほんのちょっとしか、変わらないし変えられないのが(支持母体が同じ人間がやってる限り)本当ですから、その意味でも選挙を愚弄するものです。
これを許していたのでは、選挙の争点は、一見政策ではなく担当能力の差でしかでなくなってしまいます。
担当能力とは、すなわち実務能力ですから、野党が現場経験の豊富な官僚や、与党と同じ能力を競うのでは勝ち目がないのですから、公正な選挙になりません。
こういう選挙制度下では、官僚が幅を利かすばかりか、政治家としても現役や官僚上がりが有利に決まっています。
こうしてわが国では、せっかくの議会政治と言っても、選挙制度が骨抜きされ、実質的に機能していない運用が定着しているために、永久的に政権交代がない社会となり、官僚大国になっているのです。
野党に能力がないから交代がないのではなく、不公正な選挙をしているから、政権交代がないのです。
話は変わりますが、今の自民党のやり方では、党の独自意見が全くなくて、カメレオンのように、国民の風向きに合わせて、標語を変更するだけしていれば、野党には常に勝つでしょう。
しかし、それでは官僚と殆ど変わりがなくなってしまい、政策提言をする政党としての存在価値(政治家)が不要になってしまうでしょう。
そして、いまや、重要閣僚である外務大臣ですら、官僚から抜擢している現状は、小泉政権が、自ら政治家は不要であると宣言しているようなものです。
政策変更を許す運用は、選挙を空疎化してしまい結果的に官僚優位を齎すものですが、何故こうした運用が定着したのかその淵源を辿ると、明治政府がいやいやながら、国会開設をしたときからの官僚優位維持、議会権限の骨抜き政策が、戦後の憲法下でも牢固として残っていることによるとも言えます。
これは、法律の問題ではなく、シビアーな判定を嫌う国民性ないし、長年の教育で沁みこんだ官尊民卑思想が、疑問なく受け入れる素地になっているかも知れません。
私は、これからは、「与党の政策変更は認めない」「与党は実績だけで評価する」と言うシビアーな基準で、国民が選挙権を行使して欲しいと思います。
そうでないと、社会のあらゆる場面で官僚がのさばり過ぎて、日本の社会・民主主義が窒息してしまいますよ。(未来でなく、もう窒息状態かな?。)
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