10/12/03

教育改革17・・・・・政策変更と政権の交代1

私は、教育や学問は中央で管理した一つの価値観で、ピラミッド型にした明治以降の形ではなく、江戸時代のように、いろいろな人が、東京や大都市だけでない各地に分散して生活していて、いろいろな方面で、自由闊達に、研究したり学問に励める、自由な学問環境が必要だと思っています。
こうした自由な言論があったからこそ、明治維新が成功できたともいえるでしょう。
もしも幕府に人材が集中していたら,どうなっていたでしょう。
たぶん清国や朝鮮のように、体制内改革しか出来なくて、大変なことになっていたのではないでしょうか?
もちろん清朝でも、庚有為の変法自彊と言う革新運動がありましたが、ご存知のようにあっけなく西太后によってつぶされてしまいました。
朝鮮でも、大院君が、かなり頑張ったのも事実ですが、私が思うには、柔軟性に欠けると言うか、カウンターパワーが存在しない専制君主制度が、時代の変化について行けなかった原因であったように思います。
明治維新でうまく世界の流れに乗れたのは、日本人が優秀であったばかりでなく、分散していた諸侯が、各地で学問を奨励し、殖産興業に励んでいたからこそ、澎湃として自由な議論が巻き起こり、さらには対抗勢力である薩長土肥が成立し、結果的に日本を正しい方向へ導いてくれたのです。
話を元に戻しますと、幕末期に幕府の方針自体が誤っていたのではなくて、むしろ在野の尊皇攘夷のほうが、時代錯誤であったことは明らかです。
でも、物事の大変革期には、同じ体制のままやって行くのは、無理があるのも歴史的に証明されている事実でしょう。
その意味では、自民党が、トップや考え方さえ変えれば、やって行けるという主張をし、この居直りを長年にわたって国民が認めてきたのは国家的損失です。
ある政権が進めてきた一定のやり方が駄目になった時には、同じ政党が、政策を変更して政権担当を続けるべきではなく、野党に潔く政権を渡すのが憲政の常道と言うべきでしょう。
その意味では、徳川幕府が、開国への方針変更が間違ってはいないのに、政策変更する以上は、維新政府にバトンタッチしたのは至極まっとうなことでした。
また、幕末の志士による沸騰は、幕府が神君(家康)以来と思われていた祖法を守れなくなったことへの激昂が基本であって、開国の必要性は、理解していたのです。
このように、従来の政策が行き詰まった以上は、政策変更では国民が納得しないものです。
政策が行きづまったときに、政策変更で、退陣せずその都度、選挙によって政権担当を決めるのは、憲政の基本に反しているのです。
おかしな意見だと思うでしょうが、与党が自分の考えが正しいと言うなら、従来とおりの政策継続を主張して、選挙で信を問うならいいのですが、野党の主張に合わして自分の政策も変えたからもう一度やらせてくれというのは、後出しのじゃんけんみたいでルール違反だというのです。
こういう後出しのじゃんけんを認めていつも与野党の主張が同じであったならば、(誰に入れても変りばえしないしなあと言うマスコミ報道をよく見ますが、まさに与党にとっては思う壺でしょう。)与党は補助金等々で有利な立場にあるのですから、永久に政権交代は出来ません。
政策変更するならば、政権を一旦野党第一党に明け渡すべきでしょう。
今回で言えば、「税金を多くとって、公共工事等で政府が使うから、任せておいてくれ、または、補助金を出したり天下り役人が牛耳る」戦後の50年来の政策破綻は明らかですから、政権政党および、政策担当役人も含めて辞職すべきです。




関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

稲垣法律事務所コラム内:自治に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:人材に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:行政に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:政府 に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:社会の高度化、教育に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:官尊民卑に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:学校に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:大学に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:補助金に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:幕末に関するコラム


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資