10/09/03

教育改革14・・・・既存権威尊重教育と補助金行政の弊害

既存権威・知識を学ぶのに優れた人ばかりが優遇されて、出世した役人や、権力に擦り寄る方法しか訓練を受けていない政治家ばかりがのさばって、みんなで思考停止していても、国内にいる限りでは、権力に近い方が勝ちと言う事ですが(勝てば官軍)、国際政治になると、どうでしょう?
同じ発想で、一番強いアメリカの言うとおりにして、アメリカの覚えさえめでたければ、「何が正義か考える必要がない」と言う思考停止が今の状態でしょうか?
1人の人間として考え直してみて下さい。
いじめっ子が、理不尽な理由や言いがかりで、弱い子どもをいじめているときに、どんな場合でも強い子に加勢する人って、恥ずかしくないのでしょうか?
多分アメリカ一強社会は終わって、複雑なパワーゲームの時代が到来するのは、そう遠くないでしょう。
そのうち、アメリカ一強でなくなったら、自分で考える習慣を養っていない日本はどうするのでしょうね?
「欧州の天地には複雑怪奇の現象を生じ・・・・・」」と言う歴史上有名な迷?言で、政権を投げ出した平沼内閣のように国際的に孤立の道を歩むのでしょうか?
強いものにぺこぺこし、(既存価値・権威に弱く)弱いものに威張る(現在認められていないものを馬鹿にする)木っ端役人的発想の人ばかりが出世する社会では、これからの複雑な国際社会を生き抜いていけないのではないでしょうか?
独創的なことをするよりも、既存価値を学ぶのに重きを置く人は、現在強いものの味方になりやすいでしょうし、補助金に擦り寄るのにも親しみをもつでしょう。
補助金行政がある限り、こうした傾向の人は鬼に金棒で、与党病もなくならず、野党は永久に不利ですから、民主主義の基本である政権交代も期待できないことになってしまいます。
また話がそれてしまいましたが、前回のコラムで紹介した長野県の幹部職員の行動をみれば分るように、彼は上司である県知事の言うことを聞いているよりも、出向元の意向で行動すれば、次にもっと大きな県の幹部職員に移動(栄転)できるのカも知れません。
彼ら天下りが、幹部職員またはトップである限り、出向元の意向が一番大事ですから、地方自治、すなわち地方の主体性など全く画に書いた餅になってしまいます。
産業界も同様で、もともと膨大な規制があって、その規制をクリアーするためにも、天下りが必要であるうえに、何かと言うと、政府の補助金を貰いたがることから、殆どの大きな企業には、天下り役人がはびこっています。
補助金と言うのは麻薬のようなもので、一旦貰うようになると、その事業が消費者に支持されるかどうかよりも、役人に認めてもらえるかどうかが基準になってしまいますから、商売人が役人の指示で製品を作るようなことになってしまいます。
商売の素人である役人が事業化について、一定の方向付けをするって言うのは自由主義経済ではなく計画経済ではないでしょうか?
こうして補助金や規制をクリアーするために、地方自治体バリに監督官庁の意向を窺うのに長けた人ばかりが、会社の幹部となっているのでは、世界を相手に商売できないのではないでしょうか?
産業界は、政治家のように、強いものの見方さえしていれば良いという時代(すなわち先進国の企業のものまね)は既に終わっていますので、補助金や、天下りに頼っていられない筈です。
バブル発生は、基本的には、物まね・後追い精神が極限に達して齎したものだと、私は考えています。
役人上がりや銀行員上がりのように、もともと独創性や商機をつかむのに苦手な筈の彼らが、殆どの大手企業のトップや役員になっていることが、バブルを発生させ、その後の日本経済の低迷(既存の権威のお勉強や成功体験を学ぶスタイルでは、これからの日本はやっていけないのです。)を招いているのではないでしょうか?
天下りを受け入れるしか人材がないからと言うことでしょうが、それならば、中央で根こそぎ人材を吸収するのを止めて、私立の格を上げる方向にすれば、商機をつかむのに適した優秀な人材が育つのではないでしょうか?
商売人向きの能力、(あるいは芸術的想像力等)を持っている筈の人材まで、学業が優秀であれば、結果的に詰め込み教育主義になってしまう官学(国公立)から順次取ってしまい、みんなの頭を硬くしてから社会 (芸術界も含めて)に送り出す、今のやり方は、間違っているのです。
同じ国公立大卒でも、役人をやってから企業に天下るのでは、余計頭が硬くなってしまいますよ。
話がまた変わりますが、芸大から、上手な絵描きや音楽家は出てますが、次世代に通用するような芸術家あるいは、世界に冠たる日本のゲームソフトやアニメが出てますかね?
天下り批判や禁止をするばかりではなく、こうした人材供給・教育システム自体を見直す必要があるでしょう。
詰め込み教育の弊害が説かれていますが、既存知識、権威を尊重する宿命の官学では、結果的に詰め込み教育こそ「命(いのち)」(歌舞伎のだしもので言えば、ちかいの「三五大切」と言うところでしょうか)ですから、国公立大学が教育界でヘゲモニーを持つ限り是正出来ないでしょう。
このヒエラルキーの存在が、わが国の教育界をがんじがらめにしてしまい、産業界、芸術、その他各界の頭を硬くしてしまい、にっちもさっちも行かなくなっている元凶であると考えられます。
今回の教育制度改革にあたっては、戦後改革で積み残した、このヒエラルキーを取り壊して、むしろ国公立大学や公立高校を、私立の格下に置き換える位の大改革をすべきだというのが、私の意見です。
大学令については、次回のコラムで紹介しましょう。




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