10/04/03
教育改革・・・・・明治政府と学制改革(私立教育機関)9
教育制度と地方自治の関係を書いているうちに、またもや、話が脱線してしまいました。
ピラミッド型に知識人・人材を統制しょうとする政府の思惑は、帝国大学が実際に設立されるまでは、政府の思惑にとどまっていて、現実化されていませんでしたので、私立学校は、それ程危機感がなかったようにも思えます。
あるいは、あったとしても、後に説明するように、対抗手段がなかったのかもしれません。
明治初年には、私塾は、いろんな分野で公教育を凌いでいましたが、明治政府は、権威を維持するための方策として、先ず、最高学府は、中央に一つだけ政府が設立する大学であると、大学規則で定め、そういう思想を表明したのです。
そうは言っても、実力が伴わない内は、なかなか設立できませんでしたが、「09/25/03明治維新と学制改革(大学規則と近代化) 3」のコラムで書きましたように、大学南校、東校の充実(留学とお雇い外国人教師の充実策)を待って、まさに、当時の最高学府としての内容実質を伴って、明治19年に東京帝国大学が設立されたのです。
およそ20年近い歳月をかけたのですから、大変なものですよ。
この20年近い時間をかけて、政府が、全力を上げて、帝国大学の充実の為に海外に留学生を派遣し、または外国人教師を雇うなど着々と準備していたのですが、私学は、財政力がないために、(次々と留学生を海外に送り出したり、西洋の一級の知識人を招致するのは、私学には経済的に不可能だったでしょう)遅れをとってしまったとも言えますね。
明治初年には、福沢諭吉とか幕末期に洋行したことのある人物が、私塾を開けば、それだけで、慶応義塾その他に人材が集まったでしょうが、明治19年ともなると、お雇い外国人もいるし、留学経験者が何人もいる帝国大学のほうが、若者には魅力があったのは、否めません。(もっと後ですが、夏目漱石だって加わりましたよ)
何しろ、当時は、国内から一流の人材を集めたり育てるよりも、欧米から、一流人材を雇って、教師とし、または、学生を留学させることが、手っ取り早い教育機関の地位向上策でしたから、政府の財力には、私塾は対抗できなかったのです。
また話が飛びますが、官学というのは、自分で人材を育てられなくて、人材をブラックホールみたいに集めるばかりという傾向がありますが、この点は野球の巨人軍に似ていませんか?
こうして帝国大学にいけば、海外留学ができる上に優秀な外国人教師から教えて貰えるとあって、優秀な人材が帝国大学に吸い寄せられる流れが出来て来ました。
いずれにせよ、満を持しての帝国大学の設立によって、私塾は、その存在価値が問われることになったのです。
帝国大学が、優秀な若者を吸収する仕組みが出来上がり、今でも偏差値上の上位者の吸収が続いている訳ですが、その割りに、大した業績が上がっていないのも周知のとおりです。
人材を育てるのが苦手な機関が、人寄せパンダみたいな広告で人材をブラックホールみたいに永久に吸い寄せ続けるのって、日本にとってすごい損失だったと皆さん思いませんか?
ただし、先進国の物まね時代には、それ程人材の無駄がなかったのかも知れませんが、これからは、日本発の産業が求められていますので、(例えばアニメなど)留学経験や学歴だけでは世間は評価しなくなってきました。
その上、留学は、国費でなくとも自費で誰でも留学できる時代ですから、帝大の独占ではなくなっています。
東大に行けば、海外留学できるとか、何か問題があれば、識者というのがテレビに出て来て、「・・・え〜、ドイツでは・・・」という式の解説や、横文字を漢字に直せば博士と言われる時代が終わって久しいですから、留学者独占の利点が弱くなってきました。
今こそ、私大の奮起する時代が到来していると言えるでしょう。
ただし、このことは文系に限ったことであって、装置産業化している理系には当てはまりません。
理系または、私大の装置費用(イニシャルコスト)に関しては、別途考察が必要でしょう。
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