10/27/02
日本経済の変化と法律のあり方(供給不足社会の法と供給過剰社会の法) 8
我が国は、長い間、もの不足、供給不足社会でした。
とりわけ戦後の高度成長時代には、国民の所得増による購買力の上昇に供給が追い付かず、店を出せば、客が列を作って買って行く社会でした。
この時代には、人より良いものを作ったり、売ったりする事よりも、とにかく、店を人より多く出し、多く仕入れが出来れば、それだけ多く売れる時代でした。
売れば必ず儲かる時代でしたので、リスクを負担する、投資家は必要がなく、銀行と言う金融業だけが必要な社会でもあったのです。(銀行が社会的使命が終わっている事はまた別の機会に書きます。)
その為、企業家と言うものの能力は、『元、松下の社員だったから、森永の社員だったから、或いは、東陶の一次問屋に勤めていたので、独立したら直ぐ仕入れを出来る』と言う事等が自慢の種でしたし、もう一方の心配は資金繰りでしたので、銀行から他社より多く借金が出来れば、他社より多く早く仕入れが出来て、儲けが大きいと言う事でした。
その結果、借金出来る能力がとても重んじられましので、大手企業は、大手銀行から、中小企業は、地銀大手からと言う具合に、ネコも杓子も、銀行からの天下りを受け入れて、それが企業の信用を現わすものとなっていたのです。
公務員や銀行員ほど、商機にうとい職種が無いと言えるかと思われるのに、大手企業のトップの多くに興銀等の銀行員や、官僚の天下りが多いのはその為でした。
何しろ人の真似でも、あるいは先進国で売れているものを、人より早く仕入れたり、設備投資をして、大量に売り出しさえすれば、飛ぶように売れた時代ですから、たいした考えが無くとも、借金さえできれば、そのお金で、設備投資をしてしまえば、勝ちみたいな安直な考えが充満していました。
銀行自身も事業会社が借金をするように、預金(仕入れ)さえ集めれば、有効利用(有利な運用)など考えなくとも、使い道に頭を使う必要が無かったのです。
しかも、預金の獲得方法も安直で、内容の工夫はせず、店鋪を他の銀行より多く出せば勝ちと言うやり方でした。(今でも出店競争に明け暮れている業種も有りますが・・・)
この為、出店の許認可権を持つ監督官庁出身者が頭取や役員に天下りしたり、モフ坦と言う大蔵省担当者が、出世ルートであった事は、大蔵省不祥事で、マスコミで広く報道された事でしたので記憶している人も多いでしょう。
この事から、銀行経営者の経営能力は資産の運用能力よりも、官庁に顔がきく事に重きが置かれていたことがわかります。
その他の事業会社も似たり寄ったりで、あらゆる業種は、煩雑な許認可事項をクリアーしなければならないので、経営者は、ヒット商品開発能力よりも、役所の内情に通じている事が必要条件でしたので、顧客の動静をキャッチする事に最も疎いはずの、天下り役人や銀行から経営者を受け入れる事が、合理的な経済活動であったのです。(私の見る所、トヨタやホンダ、ソニー、、ヤマト運輸、松下など役所に頼らないのは少数派で、大多数は、政商みたいな企業ばかりと言っても良い感じでした)
借りたい人や、借りたい企業は幾らでもいて、しかも、貸してやれば、その企業がその資金で工場を建てたり仕入れをすれば、必ず、儲かる時代でした。
現在の我が国の法律は、このようにもの不足、供給不足時代のパラダイムで出来ていますし、企業家や政府の人々もその時代の発想で(成功したり、出世した役人や天下りの社長が今でも幅を聞かせています。)考えているからうまくいかないのだと思います。
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