09/11/07
選挙権6(憲法226)責任と結果2
本人に責任があろうとなかろうと、総理に・・社長にあるいはピッチャーふさわしくない人は社長やピッチャーになるべきではありませんし、医師になるべき能力のない人が可哀想だからといって、医師になるのも許されません。
厳密に能力判定・・公正な競争によって能力判定がなされるべきです。
独立自営農民など税を負担していた多くの国民が、産業革命によって都市労働者に組み込まれていく過程で、貧困層・非納税者が相対的に増加していきます。
上記のように、近代から数十年前まで存在した不公正な競争社会・・社会の中間層のほぼすべてが貧困化してしまい、普通の能力を持っている中間層が政治から阻害されている状況を是正しなければならなかった時代は、昭和40年代ころに終わったのです。
構造的貧困は社会構造の結果であって、個人の責任ではないから・・と言う理解が、これまでの主流的理解方法でした。
こうした理解が、福祉受給の権利性を補強していた面もあります。
(貧しいのは国のせいで当事者の責任ではない・・・。)
戦前の貧困の多くは、上記のように国に責任であったのは違いないのですが、その責任にもどこに原因があるのか、きっちり考える習慣が必要です。
国の責任だからと言うことから直ちに結果平等であるべきだという短絡思考ではなく、国の政策のどこに責任があったのかということです。
結局、現在の価値観では、戦前は、家督相続・小作制度その他、お金持ちしか大学に行けないなど、チャンスが平等ではなかったのです。
公正な競争が保障されていなかったことが、貧困に対する国家の責任の意味であって、元々公正な競争があっても敗者になるしかない人までが、一緒になって国家の責任=結果平等を主張するのは便乗主張と言うべきでしょう。
そこが、正された後に公正な競争をした結果、社会的地位や収入に差がつくのは、仕方がないと言うよりも当然のことなのです。
(逆に差がつかなければ、やる気がなくなります。)
福祉による受益の修正と違い、役職や権能については、能力差を修正する余地がないのです。
本人に責任があろうが、なかろうが、無能な人に総理大臣や社長・サッカーや、野球の選手・監督をやってもらうわけに行かないのです。
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