09/10/07

選挙権5(憲法225)と責任と結果1

今になると、生活保護受給者も、不正競争社会・社会構造のお粗末さによる被害者と言うよりは、能力的に高度社会について行けない人・・健康でもまじめに働けない素質の人が殆どになっている筈です。
今では、生活保護受けながら、一日中パチンコ屋で遊び暮らしている人も、結構いるのです。
今になると、こうした人の殆どは、社会構造の犠牲ではなく、汗水たらして働いている人の恩恵で生きていることは、紛れもない事実でしょう。
生まれつきの障害者は、障害になったことについては、何の責任もない・・病気で仕事を休むのも・・交通事故にあったのも・・・と言い出せばキリがありませんが、私が言ってるのは、責任があるかどうかと言う道義の問題ではありません。
知的障害を持った子も、クラスで中くらいの子も、クラストップも、みんな生まれつきの才能格差によるのです。
これを子供の責任ではないからと、同じ成績にするのでは、悪平等です。
病気は健康管理の自己責任部分がかなりありますが、今の科学では、自己責任と生まれつきの病弱かのケジメをつけるのは、困難ですが、仮に生まれつきであって病人に一切責任がないとしても、ともかく病気や障害で成果を上げられない以上は、結果を受け入れるしかないと言うことです。
「その子に責任がないからといって、中くらいの選手はスター選手と同じ報酬を要求したり、同じレベルの生活をする権利までは、ないでしょう」
責任がはあろうとなかろうと、病気その他の理由でも成績が悪ければ、あるいは勤務を休んでいる人を休まずに働いた労働者と同じ結果を与え、同じ権能を与えるのでは、悪平等です。
責任があるかどうかと同じ結果や権能を保障するべきかは、別次元・別問題です。
この違いを、ごちゃごちゃにして、本人に責任がないのに可哀想じゃないか・・と言う論理で議論を封じるのは最悪でしょう。
受給による格差是正・・結果修正をどの程度までしたらよいかの議論は、消極的受益の範囲・・・かわいそうだからどこまで面倒見るかの問題ですが、この程度・・消極的受益で満足するのが普通の人間と言うか、常識の範囲内です。
これを越えて、どこまで権能を認めるかは、可哀想の問題ではありません。
権能は、厳密に能力に応じたものにしないとそれこそ不公正なのです。
ちなみに、血液製剤被害者、薬害エイズやスモンその他の被害者に対する救済は、福祉(恩恵)ではなく、政府ひいてはこれを構成する我々国民全部の責任の問題です。
ですから正確には、「救済」ではなく、国民全部が加害者・・賠償の問題でしょうから、彼らが病弱で納税していないことを理由に、選挙権を奪うのは許されないでしょう。
強いて言えば、税金を払えるほど高額の賠償(補償)をすべきだと言うことになります。
同じく、高齢者は過去に働いてきた結果として年金を貰う権利がある・・これは福祉ではなく賃金の後払い的要素があることを、9月7日・・・・2「納税と選挙権1(憲法215)」の冒頭にも書いたとおりですから、かれらも納税の有無と選挙権は別問題です。
ただし、隠居した人が経営に口出しするのは、余程のことですから、原則として遠慮すべきでしょう。



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