09/08/07
納税と選挙権3(憲法217)普通選挙権
政治家は有権者のレベル次第という事に帰するのですが、そうなれば有権者のレベルアップが必須です。
みんなが、自分の身近な利害だけでなく全体を見渡した義論が出来る社会・・公徳心を持つように教育をすることによって、まともな議論を出来る社会に底上げを図るのは、不可能に近いでしょう。
教育によって嵩上げ出来る範囲は、多寡が知れていて、(駄目な者はいくら教育してもだめです。)そんなことよりもケチな・・料簡の狭い人間の発言権を制限する方向が妥当です。
人間の才能は、知能指数的基準・・学力だけでは、はかり知れませんから、能力の程度で決めるのではなく、さしあたり・・・有権者を一定額以上の納税者・・団体で言えば、会費負担者に限定すべきだと言う私の結論になるのです。
結局、学校の成績が悪かったとしても、税を一定額以上払える人が、この社会での実績を積んだ人ということですし、自分の納めた税の使い道に発言する権利があるのは当然です。
頭でっかちな秀才・エリートよりも、実社会で税を払えるほど稼いでいる人の発言こそが重要です。
学校は社会にでるための予備訓練場でしかないのですから、学校の成績ではなく、本番での勝負で実績を積んだ人こそ能力があるのです。
ことは、教育や精神論のレベルではなく、会費(税)を払わないものが会費の増額や会費(税)の使い道について議論出来る制度自体が、基本的に間違っているのです。
ちなみに、わが国での選挙権は、ご存知のように一定額以上の納税者から始まり、ついで男子のみの普通選挙制度(1925(大正14)年 )・・戦後は男女平等制度になって現在に至っているのです。
私の考え・・「納税しないものは、税について発言する資格なし」と言うのは・大正時代以前に戻れということになります。
(ただし、男女差を主張していません・・納税の有無程度だけが基準です。)
制限選挙論は、民主主義という神話・・タブー挑戦・・・過激過ぎる議論ですから、ついていけないと思う方が多いでしょう。
しかし、アメリカ合衆国の独立戦争は、ボストン茶条例に対する反発から始まったものですが、以来、「代表なければ、納税なし」言うのは、近代民主主義政治の常識になっているはずです。
納税者が税の使い道について議論できるのは、
「金を払っているものが、金の使い道の議論に参加できるべきだ」
と言う当たり前のことです。
この論理は、逆から言えば納税しない者と納税している者が、同じ発言権ではおかしいと言うことになるべきでしょう。
納税者の選挙権さえ保障すればいいのではなく、無権利者の参加を増やすことで実質的に権利を薄められてしまうからです。
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