09/05/07

小うるさい国民性2と美しい国づくり1

10/15/03「教育改革18・・・・・多様な人材を育てる教育システム1」や、イジメの元凶などの視点で、ずっと前に教育政策に関して書いたことがありますが、ここ数十年間ほどのマスコミの基準は、
  「こんなこともできない・・守れないのは困る」
と言う、けち臭い教師のやり方を、社会全体がそのまま踏襲しているのです。
そうした教師に育てられて、そつなくそこそこのエリート校に進学した人材が中堅になってマスコミを牛耳っているから、けち臭い社会になったのかもしれません。
もちろん民間会社でも、そうした人材が中堅クラスになっているのでしょう。
長年ケチ臭い教育をして来た効果が、ここ20年ばかり現れてきたように思われます。
企業社会も政治もいろんな分野で、小役人根性のケチな野郎ばかりが幅を利かすのでは国の将来が心配です。
身近な例で紹介しますと、公園その他の木が大きくなりすぎて、近隣から、自分の家の植木鉢の草花が午後には、日陰になってしまう・・・、道路に出っ張っている枝を切ってほしいと要望があります。
元々朝からお昼過ぎまで日が当たっているのですから、・・道路に出っ張っている分を伐れば1時間くらいは日照時間が長くなるかもしれませんが・・結果的に大した違いはないでしょう。
あるいは、車に落ち葉が落ちてくるから、駐車場の上の枝を伐ってくれ、あるいは木自体を根こそぎ抜いてくれと言う団地住民の動きがあちこちであります。
こうして町中から、個人所有の大きな樹木は、伐採され消滅していく一方です。
無残に枝を切った桜の姿と自分の家の足元の草花が少しばかり元気になる、あるいは、自分の車が汚れて洗車しなければならないのと・・・全体の町並みとして、どちらがが美しいかの視点が足りない印象です。

朝顔に釣瓶とられてもらい水 加賀の千代女

こうした価値観が、日本人から失われたのかと言うと、今でもこの句は愛されていると思います。
ちなみに、道路の街路樹の設置に反対している人は少ないのですから、街路樹なら文句がなく、あるいは自分の朝顔ならよくて、個人や会社の木の枝が塀の外にでていると文句があるということのようです。
みんなの木でも誰の木でも、街路樹のない狭い道では、この暑い真夏に道路に日陰を作ってくれれば、有りがたいと思って、私などは、少しでも木の枝のある日陰を選んで歩いていますが・・・・他人の樹木だと許せないらしいのです。
私の自宅裏に樹木の手入れの良い人がいて、我が家にせり出している枝を伐ろうとするのを見かけて、私の方は楽しんでいるので、残してくれませんか?といったことがあります。



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