09/02/07
証文から「契約」へ1(民法243)
こうして、貸借では、一方的な関係になりやすいので、利息制限法や貸金業法などで取締り法規が発達して来た理由でもあるのです。
借地法、(大正10・4・8・法律 49号 )借家法(大正10・4・8・法律 49号 )も早くから発達しました。
この力関係の格差を背景に、双方が署名する契約書にしないで、一方的な借用書を取り、あるいは証文を取る実務が定着していたのでしょう。
明治民法以前・・・8月30日まで書いたように、あるいは民法制定後には、法的効力のある契約を観念できたとしても、その契約違反に対して強制執行その他契約を強制できる付属制度がまだ整備されてなかったのですから、(上記コラムで書いたように昭和40年代にやっと完成したのです)違反したらどうなると言う細かい約束の必要性も強力な契約概念の必要性もなかったし、想像も出来なかったかも知れません。
ただし、江戸時代になると、わが国の隠居の条件としての息子に対する条件付けなどはものすごく、細かく書かれていたようですが、これに反したら、いつでも家督を取り上げると言う程度の強迫による遵守に頼っていたようです。
「違反した以上は、何をされても文句言えない」と言う意識の非常に強い社会性がこうして育まれて来たのです。
太平洋戦争の無条件降伏も、そうした文脈で理解すべきでしょう。
今でも、私の事務所に来るのに、時間を約束するのは、どうしても苦手な人がいてイキナリ来る人がいますが、たぶん細かく決めることに慣れていない文化風土で育ったからでしょう。
(電話してから来てくださいと何度も、言うのですが、いくらでも待っているからと言って聞かないのです。)
ちなみに「ちぎり」を漢字に当てて使うときは、契約の「契り」ですが、わが国の「ちぎり」は、同じく宗教的な意味から発達したとしても、亀の甲羅に刻み込むような強力なものではなく、神罰も予定されておらず指切りゲンマンに類した印象です。
ちぎりを破られても、「あはれ今年の秋もいぬめれ・・」などと詠嘆して終わるやさしいものです。
めおとのちぎりを破られても、嘆き悲しむ様子が予定されているだけです。
明治民法制定で、ゆくゆくは定着していくであろう法的効力のある約束ごとを表現する熟語の創作必要性が生じたのですが、従来の「ちぎり」のままではイメージが弱すぎます。
これを漢語の約束や誓約に変えても、これまで紹介しているように、「固い」約束などのイメージ・・「絶対に破るなよ!」だけが分かりますが、その先・・違反に対する効力がはっきりしません。
(村八分になるのか、商売仲間からはずされるのか・・・・いろいろです。)
せっかく「ちぎった」り、約束したのに、これを破られても、綿々と恨みつらみを述べるしかないと言うのでは、物事が合理的に進みません。
「ちぎり」「約束」と言う効果の不明な言語のままでは、契約社会化していた西洋人には不安ですから、日本の法律の適用は困るとなってしまい、明治政府の悲願・・国是だった条約改正交渉が進まなかったでしょう。
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