09/30/06
江戸時代の裁判5(吟味筋10)武士1
江戸時代の刑の執行の話をこの辺で終わります。
ここまでの刑事手続は、町方に対するものだけで、武士に対する手続きは、別にありましたので紹介しておきましょう。
今では、元総理でも浮浪者でも同じ手錠をつけるやり方ですが、平等思想との折り合いが今のところ頭の中で整理できていませんが、どこか間違っているような感じがします。
戦争の捕虜でも、将校と兵では扱いが違うものです。
浮浪者も高給サラリーマンも同じ待遇では、刑の受けたときのダメージがまるで違うのですし、武士の情けと言うか失礼でしょう。
今は悪平等なので、最低生活者にとっては、刑務所生活はそれほど悪いものではなくなっているのです。
刑期を長くするだけでなく、それ相応の社会生活にあわせて、刑務所の待遇も変えた方が効き目があるでしょう。
お目見え以上の武士に対する糺問を「詮議」と言い、その事件を「詮議物」と言いました。
大名旗本など最上級武士に対する場合は、召喚、尋問を経ずして直ちに判決を下すことがありました。(忠臣蔵の浅野内匠頭などがそうでした)
この辺は、法制史の本に書いてあるのをそのまま書いているのですが、実は私には武士だと何故イキナリ判決なのかわかりません。
法制史の本は、江戸時代の何年ころと、特定していませんので、徳川体制も固まった以降の判例でしょうから、遠くの大名を処罰するような事例がなく、たまたま、浅野内匠頭その他殿中での刃傷事件(例えば田沼意次の息子が刺された等いくらもありました)の例では、現行犯ですから当然でしょう。
本人に罪状を問う書面を送付して弁解の機会を与えることもあり、被疑者を召喚して行う手続きもありました。
召喚して行う手続きには、4種類があり、
第1は5手掛りと言い、3奉行(以前紹介した勘定、寺社、町奉行)各1名+大目付、目付け各1名が立ち会うもので、安政の大獄などの政治的大事件で開かれました。
第2は、3手掛と言い、掛奉行1名に大目付、目付が立ち会うものです。
この場合は、お目見え以上の本人、妻、嫡子は、評定所で開かれ、次三男、厄介は奉行所で行いました。
ちなみに「厄介」という概念は、04/02/05 「夫婦別姓21(子沢山と家父長制の矛盾1)厄介者 」のコラムで紹介しました。
この第3は、小伝馬町牢屋の中でも、揚座敷、揚屋に収監しましたが、お目見え以上で、500石取り以上の場合は、大名に預けることになっていました。
未決勾留の牢屋に入ったのです。
500石以下だと、掛奉行1名に目付1名だけ立ち会うもので、奉行所でお目見え以下を裁判するものです。
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