09/28/06
証拠法則と事実認定の重要性10(自白は証拠の王)
以前、07/06/04 「学業と実力2(司法修習生の場合)」のコラムで、医学部の試験が偏差値重視になっている怪を書きました。
(一定の医学の理解力は必要ですが、その先の優劣は、手先の器用さが中心となるべきで、学歴ではありえません。)
裁判も法の理解は最低必要ですが、その先に必要とされるのは、事実認定能力なのですから、偏差値が無茶に高い必要性はないのです。
野球の審判もルールを知っている必要があるでしょうが、それ以上に必要な能力は、視力等認定能力のほうでしょう。
刑法の殺人罪を少し紹介しましたが、例えば殺人罪で起訴されている被告人を裁くのに、裁判員としてかり出された国民の100%近くの人が、殺人罪関係の刑法の条文を理解するのには、5分もかからないでしょう。
「5年以上で無期から死刑までありますよ」と言うだけのことです。
たまに執行猶予の要件の勉強も必要ですが、そんな事件は滅多に有りませんし、あっても1〜2分聞けば分かるでしょう。
(法律要件は、原則初犯で3年以下と言うことが骨子で、概ねその理解で足りるでしょう)
裁判に必要なのは、法律の知識であるとしても、それはホンの入り口で必要とされる能力でしかなく、重要なのは具体的な事実がどうであったかを認定することなのです。
執行猶予にするべきかどうかについても、詳細な事実認定で決まるのです。
ところが、肝腎の事実認定に関して科学的な研究もなく、その結果科学的訓練もなく(法律や判例の勉強だけです。)頼れるのは、経験しかないのが現状です。
法定証拠があるからと言う逃げも出来ず、自由心証と言う裁量権を委ねられれば、判決の正しさ(事実認定が中核です)の実際上のお墨つきとして、被告人自身が認めていることほど、確かなことは有りません。
この自信のなさが、裁判所をして自白を求める心理に繋がるのでしょう。
裁判官にとっては、被告人がすべて認めていて、後は量刑だけと言う事件では、精神的に非常に楽ですから(量刑基準はあるのです)自白がどうしても欲しくなってくるのでしょう。
こうして「自白は証拠の王」であると言う格言が生まれて来るのです。
日本でも江戸時代には、自白が絶対的要件であったことを、09/22/06「江戸時代の吟味筋8と刑事訴訟法55(自白法則1)憲法192」以下で紹介しました。
上記コラムでは「滑稽なことに」と書きましたが、これは、別に滑稽なことではなく、客観証拠と言ってもデッチ上げも多かったのですから、「無実のものを罰しない」と言う歯止めに必要な智恵であったのでしょう。
これが嵩じてくると、自白さえればいいと言う逆転した発想になって、拷問であれ何であれ自白さえ取れれば、有罪と言うことから、自白獲得のための拷問が多用されるようになってきたのです。
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