09/28/06
証拠法則と事実認定の重要性7(素人と裁判官の違い)
恣意的な事実認定を防ぐために、法定証拠主義の時代があったのですが、時代の変化・科学技術の変化への対応が難しいことや、証拠の捏造の盛行などで、法定証拠主義は行き詰まってきたのです。
そこで、形式的な型どおりの証拠がなくとも、あるいは仮にあっても裁判所の自由な心証で、有罪無罪を認定出来るようにしようと言うことで自由心証主義になるのですが、そうなった以上は、事実認定のプロセスについての研究・学問の発達が必須だったでしょう。
ところが、3権分立制度の構築だけで、裁判官を信用すると言うことで安心してしまい、こうした学問の発達がないまま現在に来ているのです。
あるいは、数少ない学者が研究に手を染めているのかも知れませんが、これだけ大きなテーマなのに、私は寡聞にして事実認定研究学会または、これに類似名称の学会の存在を聞いたことが有りません。
多分、学者の世界では、事実認定プロセスの重要性が認識されていないからでしょう。
ところで、法定証拠主義で行き詰まったのは、直接事実に対する立証だけが対象だったからではないでしょうか?
実際には、直接証拠が揃っている場合の方が少ないのですから、間接事実または、そのまた前段階の事実の認定に足る事例の積み上げが必要だったのですが、そこまで社会意識が進んでいなかっただけの話でしょう。
間接事実自体の法定までは行かないまでも、実務的事例集として大まかな基準のようなものを研究して整備していけば、事実認定はかなり客観化されるでしょう。
事例集に合致しない事例が出れば、新たな事例として積み上げればいいし、基準表のさらに下位の細かな事実が重要なときには、その事例に応じて、主張立証責任を転換して行けばいいのです。
政治的事件ばかりならば、裁判所が政治的中立であることが最大の要件ですが、刑事事件の99,9%と言ってよいほど、政治に無関係な事件ばかりなのです。
この99,9%以上を占める日常的な事件では、裁判官が政治的中立者か、共産党支持者かなどはまったく関係がないのです。
必要なのは、政治的立場よりも普通の事件の事実認定能力なのです。
こうして普通にある毎日の事件では、政治的中立と言うだけでは国民は納得しないでしょう。
裁判官が当事者のどちらとも中立であるのは、最低の基準であって、ちゃんと誤りのない事実認定をしてくれるのかどうかに関心があるのです。
そうなって来ると、裁判官も、「自分は、政治的中立であるから任せてくれ」と言うだけでは持たなくなってきたのです。
事実認定に関する何の基準もなく、何となく直感と経験だけで、事実認定して行くのでは、裁判官も自信が持てず、不安でしょう。
裁判員法の施行に際して、一般国民が抱いている不安の中心は、「自分は、そんな重要な事実認定をする自信がない」と言うものです。
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